【対談連載】日本初のプロマインクラフター 東京大学大学院 客員研究員/常葉大学 客員教授 タツナミ シュウイチ(下)
【東京・千代田区発】マインクラフト(マイクラ)の魅力と教材としての力は「自由さ」にあると語るタツナミ氏。一方で、現代の教育現場では親と子の間の温度差を懸念しているという。自分はあくまでマイクラのユーザーであって「先生」と呼ばれるのには抵抗があったものの、その称号を受け入れたのには理由がある。また、氏の目標は少し聞いただけでは意外に感じたが、その視線の先にはこれまでにないかたちで多くの子どもたちに道標を与える将来像があった。 (本紙主幹・奥田芳恵) ●親の負けだとはっきり伝える理由 芳恵 授業の現場で、保護者の方にはどのようなお話をされるのでしょう? タツナミ 学ぶことを面白く思わせられるかどうかが、子どものその後の人生を左右するということです。私自身、英語が苦手で、親に勉強しなさいと言われ続けたけどやらなかった。というのは、「なんでやらなきゃいけないの?」と思っていたからです。それに対して親は「将来必要でしょう?」と言うのだけど、子どもは「何に必要なの?」となる。良い大学に行けるように、って言ったって、それはなんで?という疑問の無限ループです。いろんな勉強がのちに必要だとか、面白いものだったと気づく感覚は大人にしかわからない。だから自分がエンターテイナーになって、いろんな勉強をやりたくなるように仕向けるのが大人の義務です、それができなかったらあなたたちの負けですよ、と。 芳恵 言われたからやる、ではダメなんですね。 タツナミ その感覚で勉強したって、大人になったら忘れちゃうんですよ。でも、面白くて学んだものは残ります。例えば、中学生の時に知ったカール・シュバルツシルトの重力方程式、これはアインシュタインの相対性理論につながるものなんですが、私はいまだに全部覚えてます。そういう意味ではマイクラは子どもにとっては楽しみながら勉強していく、心が開いていくツールなんです。 芳恵 保護者の皆様の反応はどうなんでしょう。 タツナミ どうでしょう。ただ、印象深い出来事があります。ある高校生が、わからないことがあると私に問い合わせてきたことがあって。私は直接、その生徒に会うために学校まで行きました。先生も同席されていたのですが、最初はゲームのよくわからない話といった顔でただ2人の会話を聞いておられるだけでした。でも、私は先生に伝えたんです。彼(高校生)が私に直接連絡してきたというのはとてつもなく勇気のいることなんです、そして今この会話は、非常に高度なものですよ、と。すると先生はそこから必死にメモを取り始めます。そして先生に伝えました。ぜひ彼のこの能力を伸ばす環境をつくってあげてください、疑問に思ったことがあれば動いていい、聞きに行っていい、それは素晴らしいことなんだと。先生は納得されました。 芳恵 ご多忙の中、直接会いに学校まで? タツナミ そうです。年に何人かそういう子がいて。彼らは与えられた課題をこなすことがゴールではないとわかって、それ以上の“欲求”をもつ人物なんです。そんな人物とはとにかく話したい、期待に応えたい、と思います。学んでも、そこまで行きつかない子がほとんどですから。 ●「先生」と呼ばれるのは実は嫌だった 芳恵 その生徒さんにとっても励みになったことでしょう。 タツナミ 瞬時に彼の目は輝きました。知らないことが恥なのではなくて、知らないことを放置するほうが恥なんです。彼はその第一歩を踏み出したわけで、誇らしいことです。そういう考えの大人の背中を見るのは、最高で最良の経験だと思います。実は私、初めのうちは「先生」と呼ばれることに抵抗があったんですが、でもそういう姿を見せていくんだ、自分は先生なんだ、と今では強く感じています。教授という称号は徹底的に何かをやってきた人にしか与えられないわけで、簡単なものじゃない。だから私も徹底的にやる覚悟はできています。 芳恵 最近の教育の環境について、感じることはありますか? タツナミ ゲームというものに大人がついていけていないように思います。ゲームなんて暴力的なものだ、教育に悪い、という考えがいまだに大人の中にあって。でもマイクラはそういうものじゃないという理解はまだ浸透していません。 芳恵 そういう大人の考えを、子どもたちはどう受け止めているのでしょうか。 タツナミ ワークショップなんかに集まる子どもたちは、純粋に「つくる」ことが大好きなんです。だから「マイクラの一番いいところは何だ?」と聞くと、「自由にものをつくれること!」と返ってくる。「それを大人がわかってくれないのは悔しいだろ?」「そうだ!」などとやりとりしています。今の子どもたちはすごいと思いますよ。そして、この世界にもちゃんと「先生」がいるから、この生き方でも大丈夫なんだ、という安心感を与えています。保護者の方が同席されていれば、マイクラはこういうゲームで、子どもたちはこういう気持ちなんです、だから1日10分でもいい、家でマイクラをやる時間を増やしてあげてください、とお願いしています。 芳恵 好きの力は大きい、と。 タツナミ そうですね。私の場合、昔は役者を目指して活動もしていましたし。 芳恵 えっ!? タツナミ 自分の世界観を表現するのが憧れだったというか。でも、そこでエンターテイナーになることを学びました。それが今、ものづくり好きな自分と合わさって、子どもたちに対してエンターテイナーになれているんだろうと思います。好きなことを追っているうちにつながった、というか。「つくる」という共通点はありますが。実は声優の仕事も、今はオファーがあればやっています。本当に、好きなことだけ追い求めて生きてきた感じですね(笑)。でも、なんとかなってきた。そういう生き方もあることを伝えたいですね。 ●最大の支えは妻 まずは東大の教授になりたい 芳恵 今のご自身を形成されるに至るまで、支えになってきたものは何ですか? タツナミ 間違いなく、一番は妻です。ここは強調しておいてくださいね(笑)。ずっと、何かあっても私が食べさせてあげるから安心して!と言ってくれていて…。 芳恵 それは頼もしいですね。 タツナミ ケンカも時々しますが、二人三脚でやってきたと思います。それで30代の後半、子どもが生まれる頃に、マイクラをエンターテインメント的なものでなく教育に使う仕事に方向転換しました。役者よりもちゃんと稼げると思いましたし。でもその時も、のちに聞いたんですが妻はすごく心配してくれていたようで。ただ、役者時代にひもじい思いをさせてしまったし、今度は美味しいものや良い服を買ってあげたいと思って仕事を変えました。 芳恵 では、今はマイクラのお仕事一本で? タツナミ そうです。今はまた家族が増えて。家族の支えもあって自分の仕事で4人が生活できています。 芳恵 これから先の目標はありますか? タツナミ 実は、東大の教授になりたいんです。 芳恵 なぜ教授を目指されるのですか。 タツナミ マイクラで東大の教授になれたらすごいでしょう?初のことですよ。「一番」っていうのが好きですから。あと、マイクラで東大に行けるとなれば、さすがに親御さんもゲームはダメとは言えないでしょう。 芳恵 これからの子どもたちのためでもあるのですね。最後に読者にメッセージを頂けますか。 タツナミ 私はマイクラのサービスが続く限り、一生マイクラをします!40過ぎたいいおっさんが一生ゲームなんて、なに言ってるんだ、と思われるかもしれませんが。そして、いずれ妻と子どもと4人でマイクラをやれたら、それが私の人生の頂点ですね。 あと…墓石には、私のマイクラのアカウントを刻んでほしいですね(笑)。 芳恵 それはみなさんにお知らせしなければ!本日はありがとうございました。 ●こぼれ話 マイクラのキャラクターがデザインされたコラボグッズをさまざまな場面で目にするようになった。マイクラTシャツを着ている子どももちらほら見かけるなど、特に小中学生を中心に絶大な人気を誇っていることがうかがえる。「マイクラおじさん」の愛称で親しまれているタツナミ シュウイチさん。マイクラのワールドの制作はもちろんのこと、造形学部の大学生を対象とした授業や、プログラミング教育などマイクラの可能性と楽しさをどんどん広げている。誰も行ったことのない道を少しずつ整備しながらマイクラおじさんが歩き、その後を子どもたちが追いかける。まさに、そんなイメージだ。 マイクラは、プログラミング的思考を養うことも、プログラミング言語を使うこともできる。そのうえ、楽しい。学びにとって「楽しい」はとても重要と考え、自らエンターテイナーとなってマイクラの魅力を伝えてきたタツナミさん。エンターテイナーといっても、決して面白おかしく楽しませているわけではない。自らが思いっきり楽しんで理解した魅力を、全力で伝えているというように感じた。今回の『千人回峰』は、そんな思いがあふれる熱い対談であった。そうしたマイクラ愛を、活字でどれだけ伝えられただろうか…。 夢中になれるものと出会うことができたら、それはとても幸せなことだ。とはいえ、「特にやりたいことなんてないです…」という発言をしばしば聞くことがある。タツナミさんは、「やりたいことがないのではなく、まだ見つかっていないだけ!」と力強く語った。そして、「受け身ではなく、自らさまざまなことを知ろうとする努力が必要」とも。真剣にマイクラに向き合い続けてきた結果、YouTubeなどネットの世界から、テレビ、教育現場などと活躍の場所を広げてきた。それだけ可能性を秘めているし、いったんハマるととんでもなく深い「沼」であるのがマイクラなのかと。タツナミさんがそう思わせる。未踏の地を歩く、日本初のマインクラフター。歩む道がいかなるものであっても、きっと楽しんでその姿を見せ続けてくれることだろう。(奥田芳恵) 心にく人生の匠たち 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長) <1000分の第358回(下)> ※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。