列島分割論のススメ 陰鬱な小休止の「平成」を抜け出すために
「平成」も残りあとわずかになってきました。天皇陛下が昨年12月の誕生日会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と語ったように、第2次世界大戦があった昭和と比べれば平和な時代だったといえそうです。しかし、一方で、日本経済にとっては「失われた30年」と指摘されるような時代でもありました。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、平成を「近代的激動が小休止した時代」と指摘します。それでは令和はどんな時代になるのでしょうか? 若山氏が独自の「文化力学」的な視点から平成を振り返り、令和を展望します。
三つの「崩れ」から
新元号「令和」の報道が一段落し、マスコミは「平成」という時代の総括に入っている。その前の「昭和」があまりにも激動の時代であったために、何となく平静な時代、そしてやや衰退の時代という見方が一般的であるが、ここでは、いつものように文化論として長い歴史の中に位置づけ、平成を振り返り令和を展望してみたい。 平成は三つの「崩れ」から始まった、と僕は考えてきた。ベルリンの壁の崩壊、バブル経済の崩壊、昭和天皇の崩御である。そしてこの三つの「崩れ」にこの時代が置かれた状況が現れているのだ。 ベルリンの壁が崩壊することによって、世界は冷戦時代からグローバル時代へと転換した。西側では民主主義の勝利として、東側では自由への解放として、好意的に迎えられたが、現実にはある種の混乱をもたらした。そして現在、トランプ大統領のアメリカ第一主義、イギリスのEU離脱など、世界は再び「壁の時代」へと逆行しているように感じられる。 混乱要因として二つの現象が注目される。一つはイスラム圏の原理主義テロリズムと難民の発生である。もう一つは中国の経済的軍事的台頭である。社会主義という枠組みで抑えられていたものが解き放たれたことによるエネルギーが世界を席巻したように思える。 さてバブル経済の崩壊は主として、投資が不動産に集中したことによる経済現象とされるが、僕は少し異なる見方をしている。日本文化が変わったのだ。かつては会社ぐるみの旅行、接待、進物、保養所が当たり前であったが、今ではかなり姿を消している。要するに日本文化が、集団的生産主義から個人的生活主義へと変化したのではないか。これを文化転換と見れば、それなりの必然性も感じられる。 そして当たり前のことだが平成は昭和天皇の崩御で始まった。ここで平成の特徴を浮かび上がらせるために、昭和という時代を振り返ってみよう。ざっとあげれば、昭和恐慌、満州事変、日中戦争、真珠湾攻撃(太平洋戦争)、本土空襲、原爆投下、焼跡闇市、東京裁判、朝鮮戦争、サンフランシスコ講和、労働争議、60年安保、東京オリンピック、学園紛争、大阪万博、オイルショック、海外不動産投資、バブル経済などなど。戦争と復興と発展とその過剰、まさに激動の時代であった。昭和に比べれば、平成とは平静な時代だったのである。 つまりこの三つの「崩れ」が、平成という時代を外側から特徴づけている。