巨人人気に頼るセ・リーグの収益構造が歪めたドラフト制度、その象徴が巨人にNPBが屈した「江川事件」だった
■ NPBのドラフト制度導入の狙いはコストカット 本連載のここまでの記事でも触れてきたように、1965年にMLBと同じタイミングで始まったNPBの「ドラフト制度」のコンセプトは、MLBとは似て非なるものだった。 【写真】2010年1月17日、日本ハム投手コーチを務めていた小林繁が急死した。写真は同日夜、記者会見でうつむく江川卓。「江川事件」を巡って因縁のあった2人だが、後年になって和解し、一緒に酒造メーカーのCMに出演した MLBはクローズドリーグ(入れ替え戦のないリーグ)の宿命として、強者と弱者の格差が広がり、ペナントレースの魅力が失われることを憂慮して「戦力均衡」のためにドラフト制度を導入した。だから前年の下位チームから選手の指名権がある「ウェーバー制」をとった。 しかしNPBは「選手獲得コストがかかりすぎる」ことが問題だとしてドラフト制を導入した。各球団が同じタイミングで選手を指名し、指名権を確定させることで「入札合戦」によって選手の契約金が吊り上がることを阻止しようとしたのだ。だから「ウェーバー制」ではなく、有望選手に指名が集中した際は「くじ引きにする」という形にした。 率直に言ってセ・リーグは「巨人一強」であっても、その余得で他球団も潤うのであればそれでいいと言うのが本音だった。そしてパ・リーグ球団の親会社の多くは「できれば球団経営をやめたいが、撤退すると業績が悪化しているように見られる」ため、体面を繕うために球団を維持していたに過ぎない。ドラフト制度は「コスト削減」のためだったのだ。 しかしながら、そういう形で不完全なままでスタートしたドラフト制度であっても、ひとたび、その制度が機能し始めると、日本のプロ野球は大きく変化した。 その象徴的なドラフトが、1968年のドラフト会議だった。
■ 当たり年だった1968年 ドラフト会議は2024年で60回を数えるが、これほどの「大豊作」のドラフトは以後もない。 各球団がこの年獲得した主要な選手の通算成績を上げるとこうなる。 *試=試合 安=安打 本=本塁打 登=登板 勝=勝利 S=セーブ 野手は1000試合以上、投手は400登板以上 ◎=野球殿堂入り ☆=名球会。 通算成績は、移籍したチームの成績も含む。 【東映フライヤーズ】 1位・大橋穣(内野手)亜細亜大学・1372試739安96本 4位・金田留広(投手)日本通運・434登128勝2S 【広島東洋カープ】 1位・山本浩司(外野手)法政大学・2284試2339安536本◎☆ 2位・水沼四郎(捕手)中央大学・1333試706安41本 【阪神タイガース】 1位・田淵幸一(捕手)法政大学・1739試1532安474本◎ 【南海ホークス】 1位・富田勝(内野手)法政大学・1303試1087安107本 4位・藤原満(内野手)近畿大学・1354試1334安65本 【サンケイアトムズ(のちヤクルト)】 5位・安木祥二(投手)クラレ岡山・445登33勝4S 【東京オリオンズ(のちロッテ)】 1位・有藤通世(内野手)近畿大学・2063試2057安348本☆ 2位・広瀬宰(内野手)東京農業大学・1090試564安35本 【近鉄バファローズ】 10位・服部敏和(外野手)日本楽器・1241試501安27本 【大洋ホエールズ】 1位・野村収(投手)駒澤大学・579登121勝8S 【中日ドラゴンズ】 1位・星野仙一(投手)明治大学・500登146勝34S◎ 2位・水谷則博(投手)中京高・476登108勝2S 3位・大島康徳(投手)中津工業高・2638試2204安382本☆ 9位・島谷金二(内野手)四国電力・1682試1514安229本 【阪急ブレーブス】 1位・山田久志(投手)富士製鐵釜石・654登284勝43S◎☆ 2位・加藤秀司(内野手)松下電器・2028試2055安347本☆ 7位・福本豊(外野手)松下電器・2401試2543安208本◎☆ 【西鉄ライオンズ】 1位・東尾修(投手)箕島高・697登251勝23S◎☆ 9位・大田卓司(外野手)津久見高・1314試923安171本 この年は、田淵幸一、山本浩二、富田勝の「法政3羽ガラス」がドラフトの目玉とされたが、3人ともに主力選手になった。それ以外の大学、高校、社会人からも一線級の選手が出た。 この顔ぶれから、プロ野球選手の最高の栄誉である「野球殿堂入り」した選手が6人、2000本安打、200勝以上した選手に入会資格がある「名球会」メンバーが7人も出た。まさに1970年代、80年代のプロ野球を背負って立つ大選手が、大挙してプロ入りしたのだ。