巨人人気に頼るセ・リーグの収益構造が歪めたドラフト制度、その象徴が巨人にNPBが屈した「江川事件」だった
ドラフト制度の導入によって、すでに「戦力均衡」は進んでいたが、巨人戦は依然として高視聴率を稼いでいたから「巨人一強」体制は続いていた。NPBは「球界の盟主」巨人の威光に屈した形となった。 一般人がこの事件から受けた印象は、図らずも事件の当事者の一人となった故小林繁が語ったコメントに集約されている〈そりゃ確かに法律的には一日の空白があったかもしれない。でも、それがあるからできるんだと言うのは、もう子どもの発想だと思った。(中略)単なる法律的なミスのわけでしょう。(中略)我々の生きている社会と言うのは、そんなものではないよね。暗黙のルールと言うものが存在しているはずだから〉(矢崎良一著『元・巨人―ジャイアンツを去るということ』より) ■ 「江川事件」が残した傷跡 江川卓は巨人で9年間プレーし、 266試合135勝72敗1857.1回 防御率3.02 の成績を残した。1981年にはMVPを受賞したが、1980年、81年と「最優秀投手」に選出されながら投手最高の栄誉である「沢村賞」には選ばれなかった。当時の「沢村賞」は運動記者クラブ所属の記者の投票で決まったが、一部記者が江川の選出に抵抗したからだ。 小林繁は阪神で5年間プレーし、 168試合77勝56敗1156.1回 防御率3.23 の成績を残した。最多勝を1回獲得している。 江川も小林も、最終年にも二けた勝利を記録しながら、あっさりと引退した。 この「江川事件」をきっかけとして「巨人ファンをやめた」という人は多い。この事件は日本野球史に深い傷跡を残した、と言ってよいだろう。
広尾 晃