タンタンとひまわりと約束…「奇跡のパンダ」タンタンの驚きのパン生を辿る
満開に咲いた“タンタンのひまわり”
腹水が抜けるようになり、タンタンの体調が安定した2023年7月、1枚の写真が話題を呼んだ。写っていたのは、屋外運動場でくつろぐタンタンと、パンダ舎の屋上に咲くひまわり。 「屋上にチラホラひまわり咲いています」 というメッセージが添えられて動物園の公式SNSに投稿された。体調管理のため、このころタンタンの観覧は中止されていたが、それでも応援してくれる人たちのため、梅元と吉田は毎日、SNSでタンタンの状態を発信していた。 それだけでなく動物園に来てくれた人たちに、タンタンが元気で暮らしていることを感じてもらえたら、という思いもあり始めたのが、ひまわりの栽培だった。パンダ舎の屋上にひまわりの種を撒き、タンタンのフンを肥料の一部として与え、毎日、梅元と吉田が飼育の合間に水を撒いて育てていたところ、屋上いっぱいに満開の花が咲き誇った。 このひまわりは、ファンたちから“タンタンのひまわり”と呼ばれた。夏の日差しを受け、青空に向かって真っすぐ伸びるひまわりは、見た人たちにタンタンの元気な姿を思い起こさせてくれた。 夏が過ぎ、秋の気配が訪れた9月16日、タンタンは28歳の誕生日を迎えた。この日、屋上で採れたひまわりの種が先着200名に配布された。いつも応援してくれる人たちに感謝の気持ちを伝えようと、二人の飼育員の願いで実現した企画だった。 そして誕生日の夕方、誰もいなくなったパンダ舎で梅元はタンタンを前にある誓いを立てていた。 来年も、飼育員二人と一頭でひまわりを一緒に植えようー だが、残念ながらその約束が叶うことはなかった。 2024年3月31日、タンタンは静かにこの世を去った。死因は心臓疾患が原因の衰弱死。だがタンタンは、亡くなる当日も散歩をするなど、寝たきりになるようなことはなかった。 パンダ舎に献花台が設けられると、タンタンを偲び感謝の気持ちを伝えようと全国から大勢が駆け付け、献花台はたちまち黄色に染まった。多くの人が供えたのは前年の夏にタンタンと二人の飼育員が咲かせたひまわりだった。 その後、ファンが大切に育てた“タンタンのひまわり”は全国で大輪の花を咲かせ、その種はさらに多くのファンの手へと受け継がれている。 阪神・淡路大震災で傷ついた人たちを励ますため、中国から神戸へとやってきたタンタン。見る者に希望と勇気を与え続けたタンタンの姿は、ひまわりとともにこれからも多くの人たちの心に、生き続けていくだろう。
杉浦 大悟(NHK 専任部長)