中山秀征 芸能界で42年、生き残れた強みを語る。「テレビ好きの情熱だけで、中学3年で単身上京。飽きられないのは、家族のおかげ」
◆人のやらないことをやる そう決めてからは、とにかく誰もやっていないことをやろうと考えました。レポーターの仕事にしても、おいしい仕事やカッコいい仕事はすぐに埋まってしまうけど、そうじゃない仕事は意外と空いている。だったら、そういう仕事をすべてやらせてもらおう。そして、ひとつひとつの仕事で結果を出していけば、何らかの答えが出るはずだと。 たとえば、ある番組のレポーターをやって評判が良ければ、次はスタジオに呼んでもらえるかもしれない。そこでさらに評価されたら、スタジオのレギュラーになれる可能性もあるだろう。そんな思いでひとつひとつの仕事に取り組んでいった結果、5年後にはレギュラーが14本まで増えたんです。 その中で、僕が身に着けたのが「等身大」「自然体」のスタンスです。それもまた、当時はまだ誰もやっていない新しいスタイルでした。今でこそ、バラエティ番組と言えば、タレントや芸人さんたちが街中に繰り出して、その場で思いつくままにコメントしていくスタイルが当たり前になりましたけど、僕がテレビタレントになった90年代は、テレビ番組は作り込んでいくのが当然の時代でした。 会議を重ねて、綿密に脚本を練って、台本通りに本番に臨む。そんな常識を破ったのが、92年から約8年間、松本明子さん、飯島直子さんと一緒にレギュラーを務めたバラエティ番組『DAISUKI!』です。 たとえば、飯島さんが「今、家を探しているの」と言えば、番組でも物件探しをしたり、松本さんの結婚が近いときには「じゃあ、挙式をあげられそうな教会を回ってみよう」と、その時々で、自分たちが興味のあることを柔軟に取り上げていきました。当時は「タレントがテレビで遊んでるだけ」って批判もされましたけど、遊ぶなら本気で遊びをやってみる「等身大」のスタイルが、あの番組を通じて僕の基本になったのです。
◆変わり続けるから、マンネリにならない おかげさまで、今日まで様々なバラエティ番組やクイズ番組に出演させていただいていますが、テレビタレントとしての僕の強みは何かと聞かれたら、1つの番組を長く続けられることだと思います。現在も、毎週MCを務めている情報番組『シューイチ』は今年で14年目になりました。みなさんが飽きずに見てくださっているのは、等身大の僕が刻々と変わっていく姿を画面でさらけ出しているからだと思います。 『シューイチ』のMCを始めた当初の僕は40代前半。息子たちもまだ小さくて、上の子たちが少年野球をやっていた頃です。番組が終わるとその足でグラウンドに駆けつけて、自分も泥だらけになりながら試合の審判をしたり、息子たちを車に乗せて家まで送り迎えをしたものです。それが、今、56歳になった僕のライフスタイルはまったく違う。25歳になった長男の翔貴は芸能界に入り、次男は大学生、三男、四男はイギリスに留学中で、妻も仕事や趣味で自分の時間を過ごしている。家の中はガラ~ンとして「今日は犬と僕だけ」なんていう日も珍しくない。(笑) 自分の暮らしが変われば、当然、世の中に対する興味や視点も変わります。自分で言うのもなんですが、だからこそ、何年たってもMCがマンネリにならず、「相変わらず、ヒデちゃんは面白いね」と言っていただけるのではないでしょうか。