「永遠のジャンプ小僧」笠谷幸生さんは何を思い、どう考えたか 寡黙な1972年札幌五輪金メダリストが残した言葉から
もう一つが空中動作とその先だった。踏み切りのタイミングで開眼すると、その優位性を生かし、いかに危険と感じない飛び方で距離を伸ばしていくか。それを必死で考え、今のジャンプ理論に通じるような悟りを開いた。例えば高速で走る車の窓を開けて手を出す。地面と垂直にすれば手は空気の抵抗を大きく受けてその形を維持するのは大変だが、平行にすれば空気の抵抗は少なくなって手はそのままの形を保ちやすい。これを「空気に挟まる」と言い表した。笠谷さんにしてみれば、距離を伸ばせるとともに、空気の下の層の存在が前のめりになって落ちるという危険を防ぐという考え方だった。何の不安も感じずに安定して飛距離を伸ばせるという意味で「安全弁」とも表現した。 「空気圧に向かって、いかに空気に挟まるかという感覚にして、成功したのかもしれない。滑空するときの紙飛行機が飛ぶようなもの。空気をつかむ、(飛行曲線のマキシマムで)スキーと体が一緒になって空気に挟まるという世界をイメージした。そうすると頭から落ちない、つまり安全なんだ。安全弁を見つけたよ」
飛躍中にかっと開けた口にも意味があった。そうすることで体を一本の硬い棒のようにして空気を切り裂くようなイメージにしたという。 「空中では口を開けたんだ。空気に挟まるためには体のバランスが必要で、脇の下から筋肉を締めて腹筋を体側から前面まできちんと固める。がっちがちにする。それには口を開けてあごを引かないと駄目だから。踏み切ったときは体にやわらかさがないと空気に挟まらないけど、挟まるとがっちり体を固めたんだ」 (4)「見本がいた」 踏み切りと空中姿勢で手応えを得ると、あとは着地だけである。「世界一美しいテレマーク姿勢」というのは笠谷さんの代名詞でもあったが、それはライバルを模倣したものだった。 「68年グルノーブル五輪を終わって、菊地定夫さんだったか、コーチに言われたんだよ、勝つにはテレマーク姿勢をしっかり入れないと駄目だと。どうしてできないのか、というところから考えた。とにかく着地するときのバランスが良くなかった。テレマーク姿勢を入れられる体勢で飛んでいなかった。でどうするか、見本がいたんた、青地清二さんという、素晴らしく上手に着地する人がいた。見てみると、上半身を動かさずに下半身だけ着地するような姿勢だった。同じようにするようにして、2年で何とかなった。手を広げたのは、一番安全だから。バランスを崩して着地しても上手に転倒できるから。まあスキーの下手な人の制御だな。一番安全な方法を採っただけだ」 (5)「俺のジャンプが完成した」