北大阪急行電鉄「会場線」跡を見た! 50年以上前と思えない保存状態
北大阪急行電鉄は、1970(昭和45)年に開催された大阪万博の会場へ乗り入れた旧会場線跡の一部を報道関係者らに公開した。旧会場線跡の公開は初公開ではないものの、滅多に公開されないこともあり、多くの報道関係者らの注目を集めたようだった。 【写真】旧会場線跡のうち140mが公開された
北大阪急行電鉄は南北線を有し、現在は箕面萱野~江坂間(8.4km)を結ぶ。南北線は長らく千里中央~江坂間(5.9km)の路線だったが、今年3月に箕面萱野~千里中央間(2.5km)が新規開業した。大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)の御堂筋線と相互直通運転を実施し、江坂駅から先、新大阪駅、梅田駅、なんば駅、天王寺駅などを通り、なかもず駅まで乗り入れる。 ■廃線跡として残る区間は約300m、保存状態は良好 報道公開は12月11日の終電後に行われ、千里中央駅からスタートした。現在の駅は地下駅でありながら、改札階までの吹抜け構造となっており、開放感がある。
半世紀以上にわたって終着駅だった千里中央駅も、箕面萱野駅への延伸にともない中間駅に。千里中央駅で折り返す列車もなくなっている。とはいえ、現在も千里ニュータウンの主要駅であることに変わりはない。大阪モノレールと接続し、大阪空港方面などへの乗換駅でもある。駅周辺で再開発が進み、これからの発展が期待される駅といえる。 終電後の千里中央駅を出発し、江坂方に新千里ずい道(千里中央~桃山台間)の線路を歩くこと約10分。旧会場線との分岐部に到着した。旧会場線は3.6kmあったとのことだが、廃線跡として残っている区間は約300mのみ。今回は廃線跡のうち140mの区間が公開された。廃線跡として残る旧会場線の終端は現在、コンクリート壁により閉塞されている。
南北線との分岐部から見ると、現行の路線が左側へ曲がる一方、旧会場線は右側へ進んでいる。旧会場線も、現行の路線と同じく複線だった。北大阪急行電鉄によると、開業当初から旧会場線と現行ルートの2ルートを用意していたという。そのため、大阪万博が終了した翌日から現行の路線へスムーズに切り替えることができた。 旧会場線のトンネルは、1970年代の地下鉄でよく見られた上から掘る開削トンネルの構造となっている。レールや信号といった設備は撤去され、バラストだけが残った。線路側は補強のため壁になっているが、かつては柱のみだったとのこと。