北大阪急行電鉄「会場線」跡を見た! 50年以上前と思えない保存状態
地下区間という環境もあり、廃線から50年以上が経過したとは思えないほど良好な保存状態だった。今回の報道公開では、未公開部に存在した2つの曲線標も公開された。うち1つは「300」と記された標識で、半径300mのカーブだったことを示す。現行の路線から東へカーブし、現在の中国自動車道を通り、万国博中央口駅へ向かっていたことを証明する遺構といえるだろう。 ■大阪万博へのアクセス路線として機能した旧会場線 現在は箕面・千里ニュータウンからの大動脈として機能している北大阪急行電鉄だが、開業当初は大阪万博へのアクセス路線として機能していた。1970年2月24日の開業した千里中央駅は、現在の場所ではなく、現在の駅の手前から会場線に入った場所に設置され、仮設の中間駅だった。会場線の終着駅として万国博中央口駅が開業し、大阪都心から万博会場への輸送を担った。 大阪万博の総入場者数は6,421万8,770人。うち30%以上を北大阪急行電鉄が輸送し、万国博中央口駅の乗降客数は計4,148万1,175人にのぼった。同年9月13日に大阪万博が閉幕すると、翌14日に会場線は営業廃止となり、現行の千里中央駅が開業。同年12月15日、会場線の撤去工事が完了した。
会場線の終着駅だった万国博中央口駅は現在の中国自動車道上り線にある中国吹田インターチェンジ付近、千里中央駅(仮設)は現在の北新田橋付近に設けられ、いずれも地上駅だった。いまは千里中央駅(仮設)も万国博中央口駅も現存していない。 開業当初、北大阪急行電鉄が保有していた車両は、大阪市交通局(現・大阪市高速電気軌道)の車両と規格を統一した2000形、7000形、旧8000形。このうち7000形と旧8000形(計56両)は万博閉幕後、大阪市へ譲渡されている。大阪万博の開催期間中、会場線のダイヤは最短で2分30秒間隔だったという。現在は最短でも4分30秒間隔なので、万博会場へのピストン輸送に徹していたことがわかる。当時の最高速度は70km/h。万国博中央口駅から梅田駅まで24分、天王寺駅まで40分で結んだ。
今回の報道公開は、北大阪急行電鉄が10月から展開しているプロジェクト「~1970年大阪万博に想いをのせて~ 『北急タイムトリッププロジェクト』」の一環で実施された。北大阪急行電鉄は2025年2月24日に開業55周年を迎える。2025年4月から開催される大阪・関西万博の機運を盛り上げる意図もある。今後のプロジェクトとして、相互直通運転開始55周年を記念した大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)とのコラボ企画や、千里阪急ホテルとのコラボ企画も予定しているとのことだった。
新田浩之