「嫌い」の感情にふたをするほど閉塞感が増す...現代に必要な“上手な悪口”
「嫌い」と言う勇気を持とう
「嫌い」は「好き」と同じくらい大切な感情です。「嫌い」を遠慮なく言い合える社会は、健全で成熟しているのではないでしょうか。 それを強く感じたエピソードがあります。以前、パリのオペラ座で『フィガロの結婚』を観劇したことがあります。素晴らしいオペラでしたが、終演したあと観客が口にしている感想に驚きました。 日本だとせいぜい「良かったですね」「感激しました」くらいですが、フランスでは違いました。「フィガロ役は、このあいだの誰々のほうが良かったですね」「いえ、私は今日の誰々が一番適役だと思います」など、侃々がくがくの議論が交わされているのです。 お互いの意見の対立点を見つけて議論し、分析し、芝居を楽しむ国民性に社会の成熟度の違いを思い知りました。そもそも議論は、「嫌い」を言わないとスタートしません。「嫌い」を殺し、周りに同調する文化から発展は生まれないのです。 私たちはもっと声高に「嫌い」を主張すべきです。そのことによって波風が立つのも覚悟のうえで、自分の「嫌い」を正々堂々と公言し、同時に他人の「嫌い」も尊重する。「嫌い」を言う勇気が自分も人も成長させ、より生きやすい社会をつくっていくのではないでしょうか。 【樋口裕一(ひぐち・ゆういち)】 早稲田大学第一文学部卒業。立教大学大学院博士後期課程満期退学。「白藍塾」塾長。MJ日本語教育学院学院長。受験小論文指導の第一人者として活躍。『頭がいい人、悪い人の話し方』(PHP新書)、『「嫌い」の感情が人を成長させる』(さくら舎)など著書多数。
樋口裕一(多摩大学名誉教授)