「科学者vs.哲学者」のサイエンスウォーズは「物理帝国」黄昏の象徴?
---------- アインシュタイン、オッペンハイマー、湯川秀樹……20世紀、あまたの巨星たちに導かれ、栄光の時代を謳歌した物理学は、その「帝国」の版図を科学・経済・社会のあらゆるシーンに拡げました。自身第一線で活躍してきた佐藤文隆氏が、帝国の「黄昏」も囁かれる時代の転換期に、物理学の栄光の歴史とあるべき未来を、縦横無尽に語ります。 今回は「高エネルギー加速器」建設中止が科学界にもたらしたインパクトと、科学者が哲学者に仕掛けた「サイエンスウォーズ」について。 ---------- 【写真】カタストロフィーを避けるために…
刺激的だったソ連の学界
少なくとも、理論物理や宇宙物理では、1950年代以後のソ連の学界は刺激的であった。ソ連へ行ってみて、数理コースの学生教育の徹底した演習などには目を見張った。そして、それを育んだ精神的雰囲気は一朝一夕にはできないものだと思った。 語り尽くされていた社会の非効率、官僚主義にはあまり驚かなかったが、上級の研究者も含めて誰もその社会システムに誇りを持っている人がいないのには驚いた。逆に言うと、西側と同じ人間がそこにはいた。上から下までみんながおかしいと思っても惰性でなかなか変えられないのだなと、つくづく思った。 それに対して、80年代頃に見た中国の社会と研究者はまだ別世界のものであった。そこには新しい世界に貪欲なバイタリティーに溢れる人間達がいた。 90年代になり、科学研究の世界でも半鎖国状態は終焉し、世界は大きく変貌した。多くの旧ソ連の「世界的」物理学者は西側に頭脳流出した。それはナチス時代以来の規模だった。今度は迫害ではなく、豊かさを求めての流出であった。多分、現在のロシアでは前述のような精神的雰囲気は崩壊したのではないかと残念に思う。政治的な混乱の中で、この貴重な物理学の世界が1つ失われた。 しかし、ビッグサイエンスの場合には単純に崩壊するのに任せるわけにはいかなかった。原子力、核融合、宇宙科学といった分野は国家の崩壊の影響をまともに受け、この大集団が邪悪な道に走らないように、先進諸国はITER(国際熱核融合実験炉International Thermonuclear Experimental Reactor)や国際宇宙ステーションなどのさまざまな国際協力プロジェクトに彼らを呼び込んで、カタストロフィーの回避に努め、現在にいたっている。 物理学の世界での旧ソ連の大国ぶりは、例えば物理学の国際組織であるIUPAP(国際純粋応用物理学連合)への各国の分担金の比率に見ることもできる。最高はアメリカとソ連(現ロシア)で、次のクラスがフランス、ドイツ、日本、イギリス、イタリア、その次がカナダ、中国、スウェーデン、オーストリアといった国々である。したがって、旧ソ連の崩壊は物理学の今後の世界地図に大きな変更を及ぼすであろう。