メジャーで「クレイジー!」と言われた昔気質のトレーニング方法、「大魔神」佐々木主浩さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(21)
プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第21回は佐々木主浩さん。フォークボールを自在に操り、日米通算381セーブを挙げた「大魔神」。昭和の特撮映画が由来といわれる愛称そのままに、その調整法も昔気質だったそうです。(共同通信=中西利夫) ▽目指していたのは甲子園でもプロでもなく 中学校の先生も親も東北高校で野球をするのに反対しました。おまえは根性ないからって。当時、土日に東北高へ行って練習に交ぜてもらって、それが楽しくて行きたいなと思いました。甲子園を狙う気持ちは全然なかったです。プロ野球選手になりたいというのもありません。高校野球の監督になりたかったので、大学に進みました。(1984年夏から3季連続の甲子園出場は)まさかという感じですよね。根性がないからやめろとみんなに言われると、くそっと思ってやり出すという感じ。あれがなかったら、高校の野球部の監督をやっていたかもしれません。
東北福祉大でプロを意識しだしたのは4年になってからです。3年の時にソウル五輪日本代表の合宿が、うちの大学でありました。僕は打撃投手でかり出されていて、古田敦也さん(当時はトヨタ自動車)らに投げました。「佐々木、全部抑えとけ」って言われて、全力で投げさせられました。500球ぐらい。すごく勉強になりました。全日本のそうそうたるメンバーがいる中で投げるので。 今の選手は自信満々ですごいなと思います。プロに入ってきたら、すぐに「新人王を狙います」とか。僕は大洋(現DeNA)の入団会見で、目標は何かと聞かれて「ファミスタに名前が載ることです」。それだってすごいことでしょう? ▽目のいい打者にフォークと見破られないために 入った当初は先発だろうがリリーフだろうが、仕事があるのが喜びでした。実績を積まないといけません。1、2年目は7イニング投げていました。抑えになっても1イニングはなく、最初は3イニングとか。九回を投げようとは全然思っていませんでした。1イニング1イニングを全力で投げるのが僕のスタイル。ただ単に仕事があり、たまたま抑えでスポットが当たりました。