"ヨット単独無寄港無補給世界一周"国内最年少記録!木村啓嗣さんの偉大なる231日間の挑戦
ヨットによる単独無寄港無補給世界一周、日本最年少記録を24歳と9か月で樹立した木村啓嗣さん。ゴールから約2ヶ月経った頃にインタビューを敢行。偉大なる挑戦の秘話を聞いた。 【写真20枚】カメラやドローンで撮影した風景や、遊びに来た鳥や魚、イルカの姿も。231日間、総距離約5万2000kmの記録を写真で見る
晴れの日も、嵐の日も…たったひとりで駆け抜けた
「東に向かって走り続けたら、こうやって戻ってこられたんです。地球は球体であると実感しました!」と、愛艇ミランダ号の上で話す木村さん。 ◆行動し、口に出すことで大きな夢の扉が開いた 昨年10月22日、兵庫県西宮市にあるハーバーを出発。木村啓嗣さんはたったひとりで41フィートのヨットを操り、世界一周の航海をスタートした。 出港後、ハワイ沖からアメリカ大陸最南端のホーン岬沖、アフリカ大陸最南端のアガラス岬沖を経由し、オーストラリアとニュージーランドの間を通り北上。ゴール地点と定めた紀伊水道入り口を通過し、今年6月8日に帰港した。231日間、総距離約5万2000km。このとき海洋冒険家の白石康次郎さんが1994年に樹立した日本最年少記録を約30年ぶりに更新。24歳と9か月で偉業を達成した。 なぜ単独世界一周の航海に挑んだのだろう? 「高校時代に、海の上だけを通って寄港せずに世界一周できることを知ったんです。それで、いつか自分もやってみたいって。当時は『いつかお金持ちになりたい』と同じように漠然とした夢のまた夢という感覚でした」 そのころ、木村さんは高校のヨット部に所属し、国体に出場するほど打ち込み、操船など航海技術の基本を身に着けていた。 高校卒業後は、子供のころからの夢だった自衛隊に入り、潜水艦の乗組員として働きだした。 「潜水艦は一度出港すると期間が長く、考える時間がたくさんあるんです。そのときに『世界一周をしたい』って思いが強くなりました。20代でやらなきゃ一生できないだろうし、自分が動けばきっと周りも動くと考え、行動し始めました」 木村さんは休暇になると各地のハーバーを訪ね、参加させてくれるヨットクラブを探して歩いた。そして、2019年に現在所属する(株)浜田の代表取締役でありヨット愛好家の濵田篤介さんと出会った。 「濵田さんに世界一周の夢を話すとすぐに理解してくれて、出会った半年後には自衛隊を退官し、浜田に転職しました。そこで会社の事業として世界一周に向けたプロジェクトを開始できたんです。ビッグマウスといわれても、夢を言葉にし続ける大切さを学びました」 浜田は、産業廃棄物処理事業を通じて環境問題解決に取り組む企業で、元々社員の発想を大切にし、社をあげて実現に取り組む社風があったという。 ◆失敗で学ぶほどに成長し、より安全な航海へ繋げる 2020年にプロジェクトは始動。世界一周の愛艇となるミランダ号を手に入れた。2022年11月には最初の挑戦に出航したが、1週間ほどで断念。2回目のチャレンジで偉業を成し遂げた。231日間、海の上でたったひとり、どのように過ごしていたのだろう? 「15分から2時間の短い睡眠を繰り返し取りながら航海していました。穏やかな日は、夕日や星が美しく、近づいてくる鳥や魚にも癒やされましたね。ただ、荒れてくると波は20m近くになることもあり、短くて6時間、長いときには数日間、ひたすら耐えるだけ。睡魔に耐え切れず仮眠した間にセールが破れ、その後の修理に時間と労力を費やしたこともありました。困難を乗り越えるたびに、より慎重に行動できるようになり、その結果、無事に帰港できました。もちろん僕一人の力ではなく、支えてくれた多くのスタッフや支援者のおかげです」 自分の意志を貫き行動することで、20代にして大きな夢を実現させた木村さんに、次の夢について聞いてみた。 「ソーラーエアプレーンに乗って、ノンストップで世界一周したいですね(笑)」 子供のように目を輝かせて力強く話した。 ・2024年6月8日帰港 記録を達成し、新西宮ヨットハーバーに帰着したときの様子。帰着直前に新品の服に着替えたとか。 穏やかな日は、カメラやドローンで撮影し、積極的にインスタにアップしていた。 夕日と雲が作り出す美しい景色が強く心に残り、航海中はこれに癒やされた。 鳥や魚、イルカなども遊びに来る。航海中の写真はすべて木村さんが撮影。