自主的な製造業、インフォーマル部門はアフリカ工業化の希望となるか?(上)
インフォーマル部門の広がり、たくましさ、その強み
そう感じ始めたころ、「インフォーマル部門」をめぐる専門家・研究者の議論に触れる機会を得た。インフォーマル部門とは、一言で言えば、政府・自治体が捕捉していない事業者からなる経済部門のことで、典型的には、都市の路上やスラムなど政府・自治体の手の届かないところで展開する事業ないしその担い手のことを指す。 「政府の手が届かない」とは具体的には、許認可、課税、規制、行政指導、あるいは補助や保護が及ばないことを意味している。アフリカを訪れたことのない読者の多くは、政府の手が届かないインフォーマル部門というと、社会の裏側の闇の部分といったイメージをいだくかもしれない。 しかし、実際にアフリカの都会を訪れると、街路上や露天でインフォーマルなもの売りやものづくりにいそしむ多数の人びとを簡単に目にすることができるし、その数の多さや、彼らが時折見せる表情の明るさに驚くだろう。そして、政府の政策措置が届いていないという意味では、都市だけではなく人口の半分を占める農村の小規模農民の多くの経済活動も同じで、それもインフォーマル部門に含めることができるだろう。インフォーマル部門はその性質上数を確かめることが難しいが、アフリカ諸国の人口の半分以上が、インフォーマルな経済活動の担い手となっていると言っても恐らく言い過ぎではない。 第2回で、アフリカの政府は植民地時代にもともと社会に対する異物として作られたと述べたが、その政府は植民地時代から、都市と農村の両方のインフォーマル部門を何とか捕捉・統制しようと試みてきた。とりわけ、都市の路上やスラムでの人びとの活動は、秩序、衛生、美観を損ね、開発の妨げにもなり、政府の権威をないがしろにするものとして敵視されてきた。そうした見方は現在でも政府関係者の間で多かれ少なかれ続いている。 ただ、1960年代に多くのアフリカの国が独立すると、インフォーマル部門への見方に変化が生じ始める。その変化を象徴するのが、1972年の国際労働機関(ILO)の「ケニア・レポート」である。これは、ILOがケニアに派遣した調査団の報告に基づくレポートで、「インフォーマル部門」という言葉は、このレポートから生まれたとされる。ケニア・レポートでは、都市インフォーマル部門に属する小規模・零細な事業者たちの活動は効率的・競争的でダイナミックであり、貧しい人びとの雇用・所得機会の創出などで社会経済に貢献するとされている。 つまり、これらの事業者は、政府の保護や規制がないので、自力で同業他社(者)としのぎを削らなければならず、自己資本がわずかなため極力事業費用を抑えようとし、無駄な投資をせず、小回りを利かせて柔軟に起業と廃業を繰り返すのである。そうした事業が、特に都市の貧困層が生計を立てる上で重要な収入源になっている、ということである。このILOのレポートは、インフォーマル部門及びその肯定的側面を「発見」したものとして、広く世界中の開発研究者や援助機関実務者に影響を与えた。 ただ、ILO調査団による「発見」という物語は近年になってILO自身により見直されている。むしろ、ケニア・レポートは欧米人の専門家に対してケニア人の研究者らが、インフォーマル部門がケニアの普通の人びとの生活にとってどれだけ重要なものであるかを説いた結果としてできあがったものなのである。つまり、外部の人間が新しい「発見」と思っていたインフォーマル部門は、アフリカ人の多くにとっては日常の状況であり、ILO調査団はそれを教えられてレポートをまとめたと言った方が正確である。 もともと政府が異物として持ち込まれたアフリカでは、それに捕捉されていないインフォーマルさこそが、自然な姿だったと言ってよいだろう。普通の人びとが自らの考えに従って経済活動を繰り広げた場合、それが、異物である政府の規制に従わなくとも無理はないし、課税を避けようとするのは当然だっただろう。そして、補助や保護を受けるためにフォーマル化をすることが大きなコストを伴うのであれば、それも回避されることになる。インフォーマル部門の広がりやたくましさの背景にはこうした「自然さ」があると言ってよいだろう。