オーバードーズで女子高生死亡... 大阪「グリ下」で蔓延も?元OD当事者「(母親から)刃物を振り回されることが日常茶飯事」「息苦しさから逃れたくてした」 孤独な若者への支援策は
大阪のグリ下、新宿のトー横の他に、横浜のビブ横、名古屋のドン横、福岡の警固界隈がある。倉本氏は「グリ下、それ以外の〇〇界隈と呼ばれるところに集まる子は、初期と今では性質が変わってきている」といい、「最初は家庭や学校に居場所がなくて、孤独感を抱えていた子、行き場のない子が集まっていた。それがSNSやメディアで広まるに連れて、観光目的で集まる子も増えていった。元からいた子は、見物で来た人を受け入れられなくて、グリ下から離れていく現象が昨年の時点で起こっていた」と補足した。
■オーバードーズ経験者の倉本菜生氏
倉本氏自身も過去にオーバードーズの経験がある。小学生のとき、両親が別居。2人暮らしの母親からネグレクト・過干渉・DVを受け、中学生で繁華街に出入りするようになり、リストカットも…。高校では父と生活を始めるも、学校になじめず、不登校となった。そして、心療内科に通院し、処方薬と市販薬でオーバードーズを繰り返した。 倉本氏は、オーバードーズのきっかけについて「母親との関係がうまくいかず、暴力をふるわれていた過去がある。そこから楽になりたくてリストカットを始めて、次に心療内科に通うようになったら処方薬を手に入れた。一気に飲むと楽になれるらしいという知識を得て、やり始めた」と明かす。 母親の暴力については「刃物を振り回される、突きつけられることが日常茶飯事で、毎日怯えて暮らさなければならない感じだった。子どもの行動を監視する人だったので、携帯の中身を全部見られたりした。どこに行くにしても報告しないと家から出してもらえない。そういった息苦しさから逃れたくて、リスカやOD(オーバードーズ)した」。 そこから立ち直ったきっかけには何があったのか。倉本氏は「オーバードーズとリストカット自体は、20代後半になるまでやめられなかった。きっかけは、今の仕事を始めたことで精神が安定してきたからだ。そもそもあまり破滅的な生き方をせずに済んだのだが、それは大学に行きたいという夢があったから。なんとしてでも大学に行って自分の好きなことをやりたい気持ちが中学生からあったので、それがなければ今どう生きていたか分からない」と答えた。 オーバードーズについて、倉本氏は経験した頃と今を比べて「辛いことから逃げたい、現実逃避したい、楽になりたいという気持ちの部分は変わっていないと思う。私は今30代だが、10代の頃は今ほどSNSが発達していなかった。やるとなったら身近な友達か、一人でやるしかなかった。それが今ではグリ横などにいけば仲間がいて、お酒を飲むのと同じ感覚でオーバードーズを一緒に楽しめる」と話す。