初代大統領ワシントン、退任後は農場暮らしを満喫、悠々自適の余生のはずが「冷たい雨」であっけなく
5代大統領のジェームズ・モンローも引退後は悲惨だ。モンローの場合、ジェファソンのようにワインをガバガバ飲んだわけでもなく、公務での支出が膨らんだ。駐英公使を4年務めるなど国外勤務もあり、大統領就任前から所有する土地を処分するなど資金繰りに窮していた。真面目に働いていたら、借金だらけ。完全にブラック職場である。 1825年3月に大統領を退任した時の借金は7万ドルを超えていた。大統領の年俸の約3倍だ。 ■ 今も残るワシントンの邸宅 前置きが長くなったが、こうした悩みと無縁だったのがワシントンだ。彼は大地主だった。地主とはいえキャッシュはそこまで潤沢ではなかったため、大統領時代は現金のやり繰りに頭を悩ますこともあったが、大統領を退任してからの彼は農園主として悠々自適の生活を送った。退任後に米仏関係の悪化で、フランスがアメリカに侵攻した場合に備えて1798年に総司令官に任命されたが、政治とは一線を引いた。大統領の再出馬要請も断っている。 彼は大統領在任時に「(退任したら)ここ20年でできなかったことをするでしょう。つまり、我々自身で夕食を決めることです」と友人に手紙を送っているが、その理想を叶え、静かな生活を送った。
日の出とともに起き、7時に朝食を摂ると、夕食まで農園内を馬に乗って巡回した。「時間、かかり過ぎでは……」と思われたかもしれないが、ワシントンの農地は彼の遺言状によると1万3200ヘクタール以上あった。これは山手線の内側の面積の2倍以上に相当する広さだという(数値は西川秀和『ジョージ・ワシントン伝記事典』大学教育出版を参照)。 退任の翌年には蒸留所を完成させ、ウイスキー事業にも乗り出している。作物のトウモロコシなどを製粉し、発酵させ、蒸留器でアルコール濃度を高めた。コーンウイスキーのほかに、フルーツブランデーも製造していた。蒸留所の生産量は年1万1000ガロン(約4万2000リットル)で当時、国内有数の規模だったが、ワシントンの死後、焼失している。 ちなみに、ウイスキー事業に際して、ワシントンは銀行から人生で初めてお金を借りている。といっても、事業に失敗して土地も売ってすっからかんになったわけではなく、キャッシュフローが一時的に足りなかっただけだ。 実際、ワシントンは莫大な資産を残している。農地のほか、「羊640頭、牛320頭、騾馬42頭、馬20頭などの動産を含めて総計53万ドルであった。当時の連邦政府の年間予算が754万7000ドルであることを考えると、いかに大きな額であるかが分かる」(前出『ジョージ・ワシントン伝記事典』)。年間予算の15分の1程度の資産を保有していたのだ。 ■ 農場の見回りで雨に濡れたのが原因で… 当時は奴隷も財産だった。ワシントンは多くの奴隷を所有していたことでも知られ、2020年に米国で、奴隷を保有していた歴史的人物の像や記念碑が活動家によって強制的に排除された際にはオレゴン州ポートランドでワシントン像も引き倒された。もちろん、彼が奴隷を保有していた事実は消えないが、遺言では自身の127人の奴隷全てを解放し、年少者には成年に達するまでの援助を約束し、老人には死ぬまでの生活を保障した。 ワシントンの死因は悪性のバクテリアもしくはインフルエンザといわれている。亡くなる2日前に雨にずぶぬれになりながらも農園を5時間も見回り、体調を崩したのが原因ともいわれている。農園の広大さが仇になったと言うべきか。 英雄も病には勝てない。再び大統領選の激務を担うトランプ氏もこれまで健康不安説が何度もささやかれていただけに、体には気をつけてほしいものである。 *参考文献 西川秀和『ジョージ・ワシントン伝記事典』大学教育出版
栗下 直也