人はなぜ「◯◯界のロールス・ロイス」を目指すのか? 最高であり文化の香り漂うのは「ベル・エポック」という豊かな時代に誕生したから!?
1904年の世界
パーソナリティについてはこれくらいにしておこう。ロールス・ロイスが形成された世界と背景はどうだったのだろうか。 今日、当たり前のように使われているものの多くは、1904年よりまだ何十年も先に誕生したものであり、2024年の現代から見ると、1904年は古代のように感じられる。私たちの時代や経験とは切り離された、粒子が粗く、遠く、白黒の世界だ。 ロールズとロイスは、テレビもペニシリンもFMラジオもない世界で出会った。パナマ運河の建設工事が始まったばかりで、タイタニック号が運命の処女航海に出るのはさらに8年後のことだった。エドワード7世は、1902年に母ヴィクトリア女王の後を継いで在位2年目だった。この年はボーア戦争が終結した年でもあり、ウィルバーとオーヴィル・ライトが動力飛行機で世界初飛行に成功する1年前でもあった。アーサー・バルフォアは英国首相、セオドア・ルーズベルトは米国大統領、フランツ・ヨーゼフ1世はオーストリア・ハンガリー皇帝だった。 1886年にカール・ベンツが、わずか3輪ではあったが、初の「真の」ガソリン自動車を製造しており、モータースポーツはチャールズ・ロールズのような大胆で裕福な愛好家の趣味に過ぎなかった。自動車が大多数の人々にとって身近で手ごろなものになるのは、1913年にヘンリー・フォードが世界初の動く組立ラインを公開して以降で、世界はそれまで待たなければならなかった。 しかし、私たちの現代生活の種はそこにあった。「ベル・エポック」と呼ばれるヨーロッパが平和で政治的に安定していた時期が異例の長さで続いたことで、経済的な自信と繁栄が生まれ、それが技術革新の急増を促したのである。それまでの20年間だけでも、掃除機、電気オーブン、乾電池、ボールペン、映画、空気タイヤ、X線、ラジオなどが発明されている。1904年の偉大な技術的驚異は、時速100マイル(約160km/h)を超えた世界初の蒸気機関車、シティ・オブ・トゥルーロであった。 イギリス初の黒人市長や初の女性大学教授が任命されるなど、社会的・文化的な進歩も大きかった。ロンドン交響楽団が創立コンサートを開き、ウェストエンドにコロシアム劇場がオープンした。文壇では、マーク・トウェイン、H・G・ウェルズ、ジュール・ヴェルヌ、ジェイムズ・ジョイス、レフ・トルストイ、P・G・ウッドハウスが活躍し、コンサートホールやオペラハウスでは、ドビュッシー、シベリウス、ラヴェル、エルガー、プッチーニ、マーラーの作品が初演された。新しいタイプの音楽も開花し、後にジャズに影響を与えるシンコペーションのリズムが特徴のラグタイムも流行した。 ロールス・ロイスが誕生したのは、この極めて豊饒で、ダイナミックで、楽観的な時代であった。先見の明とパイオニアが、この先何年も何十年も、世界の考え方、機能、行動を形作っていく時代であり、まさにロールズとロイスが新しい自動車で成し遂げたことだった。 エンジニアリング、性能、信頼性、耐久性において、それまでのすべてを凌駕するマシンを作ることで、ロイスとロールズは、後に続くロールス・ロイスのすべてのモデルだけでなく、自動車そのものの基準を打ち立てた。そうすることで、彼らは、仕事、移動、通信、地域社会、インフラ、デザイン、技術、素材社会、政治、経済、文化を、彼らが予想もしなかった方法で変革することになるテクノロジーを形作ったのである。