大ヒットチョコの「ブラックサンダー」、「不思議な売れ方」をしてきた29年のスゴい歴史
あのロングセラー商品はどのようにして生まれ、どのようにヒットをつづけてきたのか。その道のりをたどる「ロングセラー物語」。今回は、発売から29年となる、有楽製菓の「ブラックサンダー」にスポットを当てる。現在のブランド担当者が商品の歴史と今を語る。 【写真】「日本のどこがダメなのか?」に対する中国ネット民の驚きの回答 〔撮影:西崎進也〕 ---------- 河合辰信さん かわい・たつのぶ/'82年、愛知県出身。'07年に横浜国立大学大学院修士課程修了。外資系IT企業を経て、'10年に有楽製菓に入社。'18年、3代目社長として代表取締役就任。 ----------
成形したビスケットを、わざわざ砕いて
もともと祖父がウエハースの会社として'55年に創業しました。その後、安い駄菓子を作り始めるんです。このときの主力商品が「チョコナッツスリー」。ピーナッツなどのナッツとパフをチョコで包んだお菓子で、当時20円でした。 そんな中、ココアクッキーにチョコをつけて食べるとおいしい、という声が社内で上がったんですね。 そこでクッキーを砕き、他のビスケットも混ぜてチョコ菓子にすれば、「チョコナッツスリー」とは食感も重さも味わいも違っていいのではないか、と商品化された。これがブラックサンダーなんです。 特徴は、成形したビスケットをわざわざ砕いて使っていること。しかもプレーンのビスケットも混ざっている。だから、この独特の食感と味わいが生まれたんです。 ただ、原価と製造方法にこだわった結果、どうしても30円(当時)でしか出せなかった。駄菓子の10円差は大きい。当初はこれで苦戦してしまいます。 商品名は当時、専務だった父がつけました。ココアクッキーから「ブラック」を。子ども向けなので戦隊ものっぽい名前がいいと「サンダー」を。 実は当初苦戦した要因には、パッケージに英語の商品名が書かれていたことだと考えています。子ども向けの駄菓子なのに(笑)。 ようやくカタカナ表記になり、デザインも変わったのは、'03年のことです。 実は当初、売れないのでやめようという話になっていたんです。ところが、九州の営業担当者が「自分のところでは引き合いがあるので売らせてほしい」と粘り強く言い続けたのだそうです。 専務だった父に、会うたびに言う。営業の会議で集まるたびに言われる。もうしょうがない、それなら材料は残っているし、と継続することになりました。 変化が始まったのは、'00年代前半。大学生協でじわじわ人気が出るんです。子どもには少し高くても、大学生にとっては30円は十分に安い。コスパがいい、と生協で一番売れる商品になった西日本の大学もありました。 すると大手コンビニチェーンが西日本でテスト的に置いてみようという提案をくださり、このときに売れて、販売エリアが広がっていくんです。