ランゲラックが脱帽「ずば抜けて凄い」…来日7年で見た“最強”日本人【インタビュー】
名古屋の守護神ランゲラックが日本キャリアで抱いた思い
J1名古屋グランパスに所属するオーストラリア人GKランゲラックは、今シーズンをもって日本でのキャリアに幕を閉じる。2018年の初来日から通算7年。クラブ歴代外国籍選手として最多出場記録を更新するなど、名実ともにレジェンドとなった守護神の目に、日本サッカーやJリーグで対戦した日本人選手はどう映ってきたのか。改めて振り返ってもらった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓) 【写真】「どの年も全てイケメン」ランゲラック、加入当初からの7年のルックス変化 ◇ ◇ ◇ 「この7年間、すごく短かったように感じます。時の流れがすごく早かったですし、つい最近日本に来てプレーし始めたかのような感覚もある」 日本でのキャリアも、気づけば7年目を迎えた。2018年から始まったJリーガーとしての日々は、怒涛のように過ぎ去り、名古屋では英雄ドラガン・ストイコビッチを超える歴代外国籍選手として最多の公式戦出場数を重ねた。 そんなランゲラックに日本からオファーが届いたのは今から8年前、29歳の頃だった。2007年に母国でプロキャリアをスタートさせてから、ドイツ、スペインのトップリーグで実績を積み、プロ選手として脂の乗った時期を迎えようとしていた、まさにそんな時だ。 それまで、日本と全く縁がなかったわけではない。2010年から5年在籍したボルシア・ドルトムント時代には香川真司が、また、15年から2年プレーしたシュツットガルト時代には浅野拓磨や細貝萌と同僚になった。彼らとの交流を通じて日本のことはうっすらと理解はしていた。 「カガワ選手とはロッカールームで横に座ってよく日本のことを話したよ。日本人の国民はどのような性格なのかっていうのも何となくイメージはしていた。シュツットガルトでも日本人選手とプレーしたし、ある程度、『日本はこんな国なんだろうな』っていう印象はありました」。当時の思いを馳せながら語ったランゲラックにプロキャリアを日本で過ごすチャンスが来るとは、夢にも思っていなかった。 それまでプレーしてきた欧州とは文化、生活環境は大きく異なる。日本行きは一大決心と言えた。ただ、ランゲラックにそのアプローチを断る気持ちはなかった。「オファーがあって、日本に行く可能性があると耳にした時は、もうこのチャンスは絶対逃しちゃいけないんだという気持ちになった」。当然、家族にも決断を告げなければならない。妻の反応は今でも鮮明に覚えている。 「最初はショックを受けてびっくりしていたけれども、それと同時にすごく楽しみにしていたところもあります。妻はアドベンチャーがすごく好きなので、日本に行くという冒険っていうのを楽しみにしていたよ。当時2人でそのようなことを話していました」 2007年から3年在籍した母国のメルボルン・ビクトリー時代、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)で来日経験を持ち、オーストラリア代表への選出歴もある。アジアのライバル国ながら、日本のサッカーに対する悪いイメージはなかった。むしろ「レベルが高い」と、J挑戦に意欲を燃やした。 ランゲラックが加入した2018年の名古屋は、前年のJ2降格から1年でJ1復帰を果たしたばかり。ガンバ大阪との開幕戦を3-2で制し幸先良いスタートを切ったが、第3節から15戦未勝利という苦しい時期もあった。全34試合に出場し、J1残留に貢献した初来日のシーズン、当時の印象を改めて尋ねると「思っていた以上にレベルが高かった」と振り返る。 そこからゴールマウスに立ち続け、J1での出場数は200試合を超えた。「良い時も悪い時もあったけれど、本当にすごくいい経験になりました」と振り返る過去7シーズンで印象深い1年がある。2021年シーズン、チームはJ1最長の823分間連続無失点記録を樹立し、ルヴァンカップ(杯)制覇も経験した。鉄壁の守備で勝利を重ねた日々は、ベストシーズンとしてランゲラックの脳裏に深く刻まれている。 「このシーズンは力強いプレーができたんだ。失点も少なかったし、多くの試合で勝つことができた。もちろん、ルヴァン杯でトロフィーを掲げることができたのも大きかったけれど、シーズンを通してすごく良かったです。そんな印象がある。失点も少なかったシーズンなので、2021年が一番良かったのかなと思っています」