「上っ面だけの人」と「信念ある人」 その圧倒的な差は自己紹介に表れる
日本大学文理学部准教授の大澤正彦氏は、相手にどうやって自分自身を知ってもらうか、「自己紹介」について突き詰めて考えることで自分自身への理解が深まると語ります。自己紹介がもたらす効果について、書籍『じぶんの話をしよう』から、ご紹介します。 【脳タイプ診断】人間関係のトラブルの原因がわかる ※本稿は大澤正彦著『じぶんの話をしよう。 成功を引き寄せる自己紹介の教科書』(PHP研究所)より一部抜粋・編集したものです。
自己紹介を練習するのは不誠実か
「自己紹介を練習しよう」と言うと、否定的な反応を示す人がいます。そういう人たちは、「自己紹介を練習しても、それは単なる上辺だけのもので、本質をごまかしている。だから自己紹介を練習すべきではない」と主張します。 どういうことかというと、例えばプログラマーの場合、「プログラムを書く能力」と「その能力を人に伝える能力」があるとします。両者は独立していて、前者を"本質"、後者を"上辺"ととらえる人が多いのです。 これは日本の学校教育の影響も大きいと思います。日本の教育では、文部科学省が定めた学習指導要領に沿って、決められた正解をいくつ答えられたかで学力が測られます。正解を積み重ねることが"実力"の証明であり"本質"だと思ってがんばってきた人にとって、自分の"実力"を言葉で表現しようとする自己紹介は、「やるべきことをやれていない人の逃げ道」、上辺だけであり不誠実であるというわけです。 実際、上辺だけの自己紹介に遭遇することも多いので、そのようにとらえられるのも仕方がないのかもしれません。本当に上辺だけの自己紹介なら、練習しないほうがいいでしょう。ハッタリだけうまくなっても、人生がうまくいくとは限らないからです。
それらしい夢にしない
大澤研で自己紹介の研修を担当する学生Dさんは、自分の体験談としてこう語っています。情報セキュリティなんて全然興味ないのに、自分に噓をついて自己紹介を考えたら地獄だった。というのも、Dさんは最初、「私は情報セキュリティに興味があります」と自己紹介していました。 ところが、しばらくして気づいたと言います。「情報セキュリティに興味がある」というのは、自己紹介をそれらしく成立させるための噓だった。実際には情報セキュリティに興味なんてなかったのだ、と。 それをきっかけに、Dさんは自分の過去に向き合い始めました。自分はどんな人生を送ってきたのだろうか、と。ふり返ると、小中学生の時は親の転勤で転校が多く、そのたびに新しい環境に飛び込んで馴染んできたそうです。 「新しい場所に飛び込んでいくのが自分は得意なんだ」と気づいたDさんは、それを自己紹介で話すようになり、自分の強みを活かしてRINGSや大澤研でいろんな取り組みに積極的に参加し、成果も上がるようになりました。彼に憧れてさまざまな活動に励む後輩学生もいたりして、大澤研やRINGSで影響力のある存在になっていきました。 自分のことを正直に話すから、自分の強みを活かしながら、つながりたい人とつながって、チャンスが舞い込んできます。そのためには、自分が大切にしている価値観や信念、自分が本当にやりたいことを伝えられているのか、自分の肚落ち感に妥協しないことが大切です。厄介なのは、かつてのDさんのように、本人自身も自分がついた噓に気づいていないことが多いことです。