太平洋戦争「最強駆逐艦・雪風」艦長の”手記”が生々しすぎる…「敵機100機以上に直面しての”大芝居”」「生と死の間の心境」「目の当たりにした戦艦・大和の”最期の瞬間”」!
太平洋戦争中の最強幸運艦として知られる駆逐艦「雪風」。それをモデルとした映画「雪風 YUKIKAZE」(2025年8月公開)が早くも話題沸騰中だ。太平洋戦争の勃発から終戦まで生き延びた雪風の歴代艦長の中で、とりわけ存在感を示したのが巨漢の海軍中佐(当時)、寺内正道である。その寺内が戦艦「大和」の最後を見届けた水上作戦に関する生々しい手記が「日本駆逐艦全史」(潮書房光人新社)に収録され、話題を集めている。寺内が目撃した大和の最後の姿と幸運艦の幸運たるゆえんを綴った手記から一部抜粋・再構成してお届けする。 【写真】軍事誌発「伝説の航空機本」、そのすごい中身を公開する…!
部下を落ち着かせるための「一世一代の大芝居」
1945年4月7日、第2艦隊の沖縄特攻出撃のときだった。 その日、雪風は大和を中心にした輪型陣の左後ろの護衛についていた。正午少し過ぎ、電探は艦首の方向からやや左前方に、敵機の大編隊を発見した。その数100機以上だ。 私は、艦橋天蓋からねじり鉢巻きの頭を突き出して、上空の乱舞する敵機をにらみつけていた。乗員の士気が落ちないよう、私は悠然たる素ぶりで煙草に火をつけ、戦闘中にスパスパやりだした。部下たちはこれを見て、おっというような顔をしている。だが、こっちは一世一代の大芝居だ。間もなく、僚艦が攻撃を受け、相次ぎ轟沈した。 雪風はスピードを変えて猛進していた。まさに食うか食われるかの戦いだった。だが不思議と気分は落ち着いていた。生きて帰らぬつもりの出撃だったので、はじめから生と死の境地を超越していたのかもしれない。
「お前は、沖縄に行ってから働かねばならん」
雪風の周辺にも何十個の爆弾が落ちたが、数え切れなかった。火薬に染まった水柱が雪風の上に滝のように注がれ、天蓋からぬっと突き出した私の顔は、このとき真っ黒に濡れて、目だけがらんらんと輝いていたらしい。 艦も人も、まさに一体だった。乗員たちは自信をもって敵の挑戦をはねのけていた。部下たちの面魂からも、それがはっきりわかる。 ふと見ると、私のかたわらに、水雷長がいた。だが、この男にけがをさせてはならない。「お前は、沖縄に行ってから働かねばならん。いま戦死されては困る。弾丸のこないほうによけておれ」 私は安全な場所を指示した。