【毎日書評】いつも本が救ってくれた!『嫌われる勇気』の著者を支える至極のことばたち
いきなり信じる
「日本に行けたらなあ……」 彼は夢を見るような表情を浮かべて呟いた。 (沢木耕太郎「深夜特急1」) (25ページより) 「深夜特急1」からの引用。香港に滞在していたとき、筆者の沢木耕太郎は失業中のある若者と出会い、「日本に行けたら」と語るその若者とそばを食べました。しかし食べ終わると、彼はそば屋のおばさんに中国語でなにかを話しかけ、グッバイといい残して、料金も払わずに帰ってしまったのだとか。 もちろんお金は自分が払うつもりだったとはいえ、それでもお礼のひとつでもあっていいのではない。沢木はそう感じます。そして、たかられたことに落胆しながら料金を払おうとすると、おばさんの口からは「いらない」という返答が。なぜなら、彼は次のように伝えて立ち去ったというのです。 <明日、荷役の仕事にありつけるから、この二人分はツケにしておいてくれ。頼む……>(前掲書)(26ページより) このとき、自分が情けないほど惨めに思えてきたと沢木は記しています。 <情けないのはおごってもらったことではなく、一瞬でも彼を疑ってしまったことである。少なくとも、王侯の気分を持っているのは、何がしかのドルを持っている私ではなく、無一文のはずの彼だったことは確かだった>(前掲書)(26ページより) しかし相手が約束しても、本当にその約束が守られるか信じられないともいえます。なお、ここで著者は、哲学者の和辻哲郎による次のことばを引用しています。 <信頼の現象は単に他を信ずるというだけではない。自他の関係における不定の未来に対してあらかじめ決定的態度を取ることである>(『倫理学』)(26ページより) この若者が「ほぼ確実だからツケにしておいてくれ」と約束したとき、彼は「不定の未来」に対して決定的態度をとったわけです。仕事にありつけないかもしれないし、気が変わることもないとはいえない。つまり未来は「不定」なので、それは信頼で補わなければならないのです。 だから、「信頼は冒険であり賭けである」(前掲書)ということですが、とはいえ「この人は本当に信頼できるのか」と調べてから信じるわけではありません。 <人が信頼に値する能力を持つことを前提として、いきなり彼を信ずる。それが他への信頼である>(前掲書)(27ページより) 事実、そば屋のおばさんは「いきなり」彼を信頼したわけです。つまり、ここでの沢木が若者の行動を理解できなかったのは、彼を信頼できなかったから。著者は『深夜特急1』に記された記述について、このように解説しているのです。(25ページより) 読書は、人を高いところまで連れて行ってくれるものだと著者は述べています。高みまで到達したら、あとは自由に考えなければならないとも。つまり読書は、思考を助けてくれるということ。したがって、本書で紹介されていることばを確認してみれば、新たな知見を得ることができるかもしれません。 >>Kindle unlimited、2万冊以上が楽しめる読み放題を体験! 「毎日書評」をもっと読む>> 「毎日書評」をVoicyで聞く>> Source: 中公新書ラクレ
印南敦史