【毎日書評】いつも本が救ってくれた!『嫌われる勇気』の著者を支える至極のことばたち
『悩める時の百冊百話-人生を救うあのセリフ、この思索』(岸見一郎 著、中公新書ラクレ)は、『嫌われる勇気』でも知られる著者が、自身を支え、救ってくれた古今東西の本と珠玉のことばを紹介した新書。さまざまな苦難に直面するたび、ここに収められていることばに勇気づけられ、乗り越えてきたのだそうです。 苦境に陥った時には、本を読むことが救いになる。誰にも悩みを打ち明けることができなくても、本の中で目に留まった言葉が生きる糧になる。 人生の意味については古来哲学者が考えてきたが、本書で私は哲学だけではなく幅広いジャンルの本の中から言葉を引きながら、人生について考えていきたい。 (「はじめに──人生の意味を求めて」より) なお、小説など文学書を多く引用しているのは、自分で経験できることには限りがあり、他者の人生を追体験することで学べることは多いからだそう。「名著」や「古典」ばかりを取り上げているわけではないことについても同じで、つまりは必ずしも評価の定まった本だけが人生に影響を与えるわけではないということです。 人生の意味を求めて本を読むようになると、線を引いたり、書き写したりしたくなる言葉が目に留まるようになる。後になってどんな文脈で語られた言葉だったのか思い出せないこともあるが、それでも、その言葉が何らかの影響を与え、考えるきっかけになる。(「はじめに──人生の意味を求めて」より) こうした考え方に基づく本書の第一章「人とのつながり」のなかから、2つのことばを抜き出してみたいと思います。
倚(よ)りかからないで生きる
一人でいるとき淋しいやつが 二人寄ったら なお淋しい (茨木のり子「一人は賑やかに」) 倚りかかるとすれば、 それは 椅子の背もたれだけ (「倚りかからず」) (15ページより) ここでいう「倚りかかりたくない」ということばは、できあいの思想、宗教、学問、権威などに向けられたもの。 <じぶんの二本足のみで立っていて なに不都合のことやある> (「倚りかからず」) (15ページより) 著者は学生時代、哲学者の書いた本について、従前とは異なる解釈をするような論文ばかり書いていたといいます。 しかしやがて哲学者の思想を解説することには飽き足らなくなり、自分で粘り強く考え抜いたことを自分のことばで語りたいと思うようになったのだとか。ところそれは簡単ではなく、過去の哲学者に引っぱられ、その影響を断ち切ることができなかったようです。 ちなみにそれは、コミュニケーションにもあてはまるといいます。対人関係も相手に依存するとうまくいかなくなりますが、ほとんどの対人関係は依存か支配だというのです。 幼い子どもは大人に援助されなければ生きていけませんが、やがて親の力を借りなくてもいろいろなことができるようになります。 にもかかわらず親は、子どもが成長したことに気づいていないか、あるいは認めたくないため、結局は子ども扱いしてしまう。子どももそれが楽なので、いつまでも親に依存し続ける。だからこそ、大人になっても自立できず、まわりの人に依存して生き続ける人になってしまうというわけです。 たしかにそう考えると、社会のなかで「倚りかからずに生きていく」ことの大切さが理解できるような気もします。(15ページより)