「あんなことしなければ...」僧侶が説く、意味のない後悔をやめられる1つの方法
「誰かのせい」にしても苦しみは消えない
自分で選んでやった(やらなかった)ことだと自覚する。決して他人のせいにしない。 これらも、後悔してしまったときにとるべき、有効な対処法です。 「親がこの学校のほうがいいというから入学したのに」 「○○さんの言葉を信じたせいでひどい目にあった」 こういった考え方は、他人に責任を押しつけてしまっています。相手とどんな関係にあろうが、いかなるアドバイスをされようが、最終的に行動に及んだのは自分自身。その決断を下したのは、あくまでも自分なのです。ひとしきり悔やんだあとは、他人に責任転嫁せず「自分がバカだった。もう同じことはくり返さないようにしよう」と反省しましょう。 そして、あとになって他人のせい、なにかのせいにしないように、行動したり決断したりするときは、「本当に自分がやりたいことなのか?」「本心から望んだことなのか?」を自分自身に問いかけたうえで実行していくようにしましょう。 自分と向き合うこと、自分の頭で考えることにはパワーが必要で、とてもしんどい作業です。「誰かの言っていること」を鵜呑みにして決断するほうがずっと楽なので、ついそうしたくなってしまいます。 でも、後悔のない人生を歩んでいくためには、自分で考えることを諦めてはいけません。とことん考え抜いて自分の判断で行ったことであれば、たとえどんな結果になったとしても「自分で選んだ道だから仕方がない」と納得することができます。後悔をゼロにすることはできないかもしれませんが、頻度は少なくなるはずです。 また、起こってしまったことに対する評価を変えるというのも、ひとつの方法です。 私は子どものとき、親の言いつけを守らずに大けがをしてしまったことがあります。 「危ないからストーブの前で着替えちゃダメだよ」 母親にこう言われていたのに、両親が留守のあいだにストーブの前で着替えようとして、私の真似をしようとした妹と場所の取り合いになり、ストーブの上のやかんをひっくり返して足に大やけどを負ってしまったのです。そのやけどの跡は、一生消えない傷として残りました。 何度も手術を受け、一時は車いす生活にもなりました。当時はそれがすごくショックで、「どうして言いつけを守らなかったのか」という後悔と、親への申し訳なさでいっぱいでした。 でも、大人になるにつれて、この出来事は自分に対する戒めなのだと思えるようになりました。今では「調子に乗っちゃいかんな」「やってはいけないことをやるのはダメだな」と、傷を見るたびに思うようにしています。 失敗をくり返さないためのありがたい傷。こう思えるようになるには、人によってある程度時間が必要になるかもしれません。それでも、このように見方や評価を変えることによって、後悔とさよならすることもできるのです。