「格好いいな、あの野郎ってね」金本、江藤、黒田、丸…数々の名選手を発掘した広島の生ける伝説・苑田聡彦のスカウト哲学
苑田が惚れ込んだ選手たち
もちろん、すべてがうまく進んだわけではない。スカウトとして初めて球団に強く推薦したのは、日本鋼管の木田勇。78年のドラフト会議で1位指名し、3球団競合の末に交渉権を引き当てたが入団を拒否された(木田は翌年のドラフト1位で日本ハムに入団)。 スカウト転身後15年目くらいには、辞めることを考えた時期もあった。思いは夫人にも伝えていた。ただ、休日に散歩していると、公園の先にある野球場に自然と足が向いた。天職なのだと悟った。 選手は、走り方、投げ方、打ち方だけでなく、懸命さや、やられた後の表情に注目した。ユニホームの着こなしは欠かせないポイントだった。 いつも同じ場所で選手を見る。練習を見に行った日は、練習が終わるまで見る。どれだけ日差しが強い日でも、サングラスはしない。誰にも教わらずスカウトとしての姿勢を自分で見いだした。 惚れ込んだ選手たちとの出会いは、今でも鮮明に覚えている。関東高の江藤智はインサイドアウトのスイングから中堅方向に伸びる打球が魅力的だった。東北福祉大の金本知憲のリストの強い打撃に衝撃を受けた。水戸短大附高(現・水戸啓明高)の會澤翼は勝気な性格が好印象で、ひたちなか市民球場で放った右中間席へのホームランを評価した。投手としても評価されていた千葉経済大附高の丸佳浩を早い段階から打者として追いかけた。手首が柔らかくフォロースイングが大きかった。 「いいと思ったらとことん行く。惚れるんじゃなく、惚れ込まないといけない」 黒田博樹との出会いは偶然だった。当時、東都リーグ2部だった専修大学の練習場に目当ての選手を見に行ったとき、遠くを歩くひとりの選手に苑田の目はくぎ付けとなった。 「遠くから見ても『格好いいな、あの野郎』ってね。ピッチングを見ても球が強いし、目力もいい。後光が差すって言うけど、黒田には後光が差しているように見えた」 当時の黒田はまだ2年生の控え投手のひとりで、公式戦での登板もほとんどなかった。関係者から情報を集めると、高校時代は控え投手だったことも分かった。だが、自分の直感を信じ、苑田は何度もグラウンドに足を運んだ。 惚れ込んだ無名投手は3年秋にチームを1部昇格に導き、4年時にはプロが注目する投手に成長した。資金面で劣る広島にとって逆風だった逆指名制度の時代に黒田を振り向かせられたのは、苑田の誠意があったからだ。それは9球団からのオファーの中、広島入りを決めた苑田の若き日を彷彿させる決断だった。
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