「格好いいな、あの野郎ってね」金本、江藤、黒田、丸…数々の名選手を発掘した広島の生ける伝説・苑田聡彦のスカウト哲学
長いスカウト人生の始まり
東京行きの切符を渡され、用意された4件の物件から新居を決めた。数日後、新生活の始まりとともに、球団から届いた一通の手紙から突然、スカウト人生が幕を開けた。 「弘前へ行け」 当時はスカウトの数も少なく、苑田は関東以北を担当することになった。もちろん携帯電話の時代ではない。球団からの指示は電話でもファクスでもなく、手紙だったのだ。そこに書かれた日時の夜行寝台列車に乗り、青森を目指した。青函連絡船の中で聞いた汽笛の音は今でも忘れられない。 不安からか、車内の時間はより長く、北国の風も冷たく感じられた。初めて足を踏み入れた地で、宿泊は双眼鏡で見つけたホテルの電話番号をメモしてその日に予約した。慌ただしく先行き不安な初日に、苑田は部屋で思わず涙したという。 当時、広島には木庭教、備前喜夫、宮川孝雄ら“名物スカウト”がそろっていた。ただ、スカウトのイロハを誰も何も教えてくれなかった。自分で見て、動いて、学ぶしかなかった。それが広島スカウトの教育だった。 「一から十まで、手取り足取り教えてもらわなかったことが僕にとっては良かった。あれこれと教えてもらっていたら自分で動くことができなかったんじゃないかなと思う」 鞄の中には座布団とスコアブックと帽子、双眼鏡とスピードガンを常に入れていた。移動距離も長ければ、インターネットで簡単に情報が入る時代でもなかった。他球団のスカウトから東北の選手の情報を聞いて見に行ったこともあったが、それほどの選手ではなかった。次に会ったとき、情報提供者のスカウトも見ていない選手で、苑田に見に行かせるために情報を漏らしたのだと知った。そんな駆け引きが日常茶飯事の時代だった。 情報は足で得た。北は北海道から南は沖縄まで、全国の高校、大学の電話帳を持ち歩いた。遠方の情報は地方の地元紙を送ってもらうなどして収集。集まった各地の練習試合の日程をにらみながらスケジュール帳に予定を書き込み、多くの選手と出会った。
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