地元バンク再開直前に強制引退 熊本の55歳元競輪選手が語った“矜持”と妻からの言葉「走りたかった気持ちあるけど」
「お客さん」として訪れた熊本競輪場
そして熊本競輪場が再開を迎えたこの日、観客のひとりとして競輪場を訪れた。本場には大勢の観客が詰めかけて、熱気に満ちあふれていた。 「(再開は)本当に嬉しい。感無量です。残念ながら外からですけど、バンクをいざ見て、再開に携わってくれた皆さんの努力のたまものだと感動しました。お客さんの多さも… これからも足を運び続けてほしいですね」 快晴の熊本競輪場のスタンドで、礒田さんは目を細めた。 「引退して、自分の中では気持ちの整理もして今日を迎えたんですが…。実際生でレースを見て、走っている時の緊張感や選手の息遣いを目の当たりにすると『ここを走ってみたかった』という気持ちも出てきたりして」 それも競輪選手として生きた者の本能だろう。再開した熊本バンクを走ることなく二度目の別れを告げることになってしまったが、初めて観客として満員のスタンドに立つと選手たちが繰り広げる熱戦に心が動いた。 「これまでは選手として競輪に接していたけど、今日はお客さんとして見て新しい魅力に気づけた。選手たちを応援していると、私も自然と大きな声が出ましたよ。今日は必ず最終レースまで応援して帰ります。誠一郎と嘉永(泰斗)が走るからね」 若手選手は、再開後のバンクで初めて地元を走ることになった。この競輪場とともに未来を担っていく選手たちに礒田さんが伝えたい想いは…。 「熊本のファンって昔から厳しい言葉もあるけど温かい声援もすごく多くて、それが忘れられないです。声援は聞こえるんですよ。ちゃんと選手に届いている。熊本のお客さんの温かさはすごく伝わっていました。若い選手たちには、地元の応援や激励、厳しい言葉も『嬉しいものだ』と感じてもらいたいかな」
35年の現役生活で貫いた“生きざま”
「やっぱり私にとって、競輪は人生だったと思います。私が言ってもそんなたいそうなことではないんだけど…(笑)」 そう言って笑う礒田さん。数千人いるプロの競輪選手のなかでトップ戦線で輝く選手は一握りだ。礒田さんが送った選手人生は、多くの人がイメージする“プロの世界”より泥臭く、地道なものだったかもしれない。 それでも55歳という年齢まで、人生の半分以上を競輪選手として走りぬくことは並大抵の努力では成し得ないことだ。 「本当に35年間、いい経験をさせていただきました。いいときばかりではなかったけれど…。自分から車券を買ってくれたお客様がいるから、ちぎれても必ずゴールまで踏み切るというのを最後まで貫きました。それが私の生きざまだったのかな、と思います」 35年間、ポリシーである“力走”を貫いた。それが「競輪選手・礒田義則」の生きざまであった。