「経営していないのに、なぜ経営がわかるの?」 経営学者の回答は
「なんで経営していないのに、経営のことがわかるんですか?」。これは、経営学者が最もよく聞かれる質問の一つだ。実務との接点も多い経営学は、社会の役に立つことが求められがちな分野である。だが、専門家である経営学者にも、経営する能力が必要なのだろうか。学問としての経営学の在り方と、一般社会へ伝えるためのわかりやすさとの間の葛藤を、『経営学の技法 ふだん使いの三つの思考』(舟津昌平著)から抜粋・再構成してお届けする。連載第1回。 【関連画像】 経営学がいかに社会の役に立てるか? 何に使えるのか? みたいな話が、本書の主題の一つである。本書でも何度か言及しているようにその問いは「政治的」にしか答えが出ないことが多いし、学問の要不要を問うこと自体がナンセンスであることは、重々断っておきたい。 経営学には、経営学に関わる人々に由来する特有の問題がある。経営学には主に、「専門家」たる経営学者と「素人」たる一般人、そして「実務家(実践家)」が関わる。実務家との接点が多いこともあって、経営学は「実学」として扱われることが多い印象だ。しかし、実務と関わるからこそ生じる疑問も、当然ある。 経営学者は研究を生業にしているため、経営そのものに携わることは少ない。ゆえに経営学者が最もよく聞かれる質問の一つが、「なんで経営してないのに、経営のことがわかるんですか?」という問いなのである。明らかにハナからバカにする感じの聞き方のときもあるものの、多くは純粋に問うていらっしゃるはずだ。 多少ふざけるなら「ゴリラの研究者にゴリラはいませんよ」と答えるのがよいと思っている。「ゴリラはこう生きてて、だから人間は本来は…」とかゴリラの研究者がまことしやかにゴリラの話をすると、皆感心して聞き入る。ところが経営学者が経営を語ると「経営したことないくせに」という声が必ず聞かれる。いずれ科学が進歩したらゴリラにも訊(き)いてみたい。ゴリラ学者はこう言ってますけどハラオチしてますか、と。 ただ、研究者とゴリラは(たぶん)コミュニケーション困難だけど、研究者と経営者は対話が可能である。もっとわかりあえると思っているからこそ、わかりあえないことにもどかしさと不満を覚えて、「経営のことわかるんですか?」みたいな問いが出るのかもしれない。