『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:2つの覚悟(筑波大・加藤玄)
東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」 【写真】「美しすぎ」「めっちゃ可愛い」柴崎岳の妻・真野恵里菜さんがプライベートショット披露 いつか大学時代を振り返った時、『この決断が正しかった』と必ず胸を張って言い切れるように、大きな覚悟を持って新しい世界へと羽ばたいていく。誰よりもこの蹴球部を愛し、誰よりもこの蹴球部のために戦った3年間は、これからも人生のど真ん中に置き続ける最高の宝物だ。 「かけがえのない3年間でした。『筑波に来て良かった』という言葉では形容しきれないぐらいの大切な時間で、苦しいこともメチャクチャありましたし、嬉しいことも、喜びもあって、いろいろな経験ができたことも含めて、本当に素晴らしい筑波での3年間を過ごせたなと思います」。 本来の予定より1年を前倒しして、来季からの名古屋グランパス加入を決断した、筑波大(関東2)が誇るチームの心臓。大学ラストゲームを終えたMF加藤玄(3年=名古屋U-18/名古屋内定)の心の中には、自分でも整理しきれないような感情が渦巻いていた。 2023年12月21日。インカレ準決勝。筑波大は明治大をわずかシュート1本に抑え込みながら、その一発をきっちり沈められ、決勝を目前に敗退を突き付けられる。 「優勝しないと何も残らないんだなということは感じたので、来年も試合に出続けて、チームを引っ張ることもそうですけど、その先にリーグ戦、カップ戦でタイトルを獲ることを、自分に使命として与えたいですね。もう明治にだけは負けたくないです」。 2年生ボランチとしてリーグ戦全試合に出場し、絶対的な主力になっていた加藤はきっぱりと言い切る。2024年のシーズンを戦う筑波大の1年間は、この日の悔しさを身体に刻み込んだところからスタートした。 「『自分らしくないな』って自分でも思いますよ」。本人は笑いながら、自身の決断についてそう語る。2024年12月12日。名古屋グランパスから1つのリリースが発表される。『加藤玄選手、2025シーズン加入内定のお知らせ』。まだ大学3年生の加藤は、最高学年のシーズンを待つことなく、アカデミー時代を過ごした名古屋への帰還を決断した。 加藤が初めてその蹴球部の存在を意識したのは、中学校3年生のころ。風間八宏氏(現・南葛SC監督)が名古屋の監督に就任したタイミングで、川崎フロンターレで魅力的な攻撃サッカーを展開していた指揮官が、かつて筑波大を率いていたことを知る。 「そこで筑波に対する意識が芽生えたのは今でも鮮明に覚えています。そこからは『サッカーの推薦で筑波に行けなかったとしても、一般受験で進学できるように3年間準備しよう』と思って高校を選びました」。高校は県立の進学校に合格し、U-18での活動と並行して、学業にも注力。トップチームへの昇格が叶わなかった加藤は、当初の予定通りに筑波大の門を叩く。 だから、とにかく意外だった。憧れ続けた蹴球部の一員となり、絶対的な主力としてチームを牽引してきただけに、集大成となる4年生のシーズンは「キャプテンになって、筑波を日本一に導く」という入学時に立てた目標を叶えるための1年間を過ごすのだと、確信していたからだ。 「同期のみんなと大学4年目を楽しめないのは凄く寂しいですし、僕みたいなタイプって、チームに強い帰属意識があって、最後までみんなとやりきるんだろうなと思っていたので、正直これが正しかったのかなという想いはあります」。そんな加藤が自分でも想定外の道へと一歩踏み出した最大の理由は、フットボーラーとしての未来を熟考した末の覚悟だった。 「本気でここから自分がフットボーラーとして15年、20年と生きていくためには、自分からその決断をしに行く覚悟が必要だなって。ここでプロになるチャンスがあったのに選択しなかったことを後悔したくないですし、ここを逃すとプロサッカー選手になっても、大事な時間が漫然と流れていってしまうのかなという不安もあったので、『ここで自分が本気の覚悟を決めなきゃいけないな』というのは、最終的な決め手だったと思います」。 一方でユースを卒団したタイミングでは、加藤にとって名古屋への帰還は決して最優先事項ではなかったという。「実は高校を卒業する時には、必ずしも戻ってくるつもりはなかったですし、あくまでプレーヤーとして大きくなりたいとは思っていましたけど、正直グランパスに戻るためだけに大学の3年間を頑張ってきたわけではなかったです」。実際に複数のクラブから獲得オファーは届いており、“古巣”はあくまでも選択肢の1つという位置づけだった。 21歳の心を揺り動かしたのは、蹴球部の大先輩から送られた熱いメッセージだ。「名古屋の練習に参加した時に、(長谷川)健太さんから『グランパスの人間としてではなく、蹴球部の先輩として、美しいキャリアを歩んでほしいと思っている』と言われて、それはもう本当に『健太さんの元でプレーしたい』と思う一番の決め手だったと思えるぐらいに、ありがたい言葉でした」。 「あとは内定の記者会見では『アカデミーの選手だから戻ってきたつもりはない』と断言しましたけど、健太さんからは『アカデミーの選手が戻ってきて活躍することに、本当に大きな価値がある。グランパスが1つ上のステージに行くためには、アカデミーの選手が中心になるべきだ』とも言ってもらったんです」。Jリーグ屈指の名将として知られる指揮官の言葉が、加藤の中に染み渡っていく。 考える。自分が名古屋に帰る意味を。考える。自分が名古屋のアカデミーにもたらせる価値を。それは背負うべき使命とも言い換えられるかもしれない。考え抜いた末、腹は決まった。そこにはプロサッカー選手になるのと同じか、あるいはそれ以上に大きな覚悟が必要だった。 「自分が戻ることで“アカデミーの選手”として応援されると思いますし、ここで自分が来年や再来年にグランパスの象徴になれれば、クラブの文化も変わるんじゃないかなって。『こうやってアカデミーの選手が中心になっていかなきゃいけないんだ』ということを示せる可能性があるとも思ったので、クラブとしても1つ上のステージに行くための鍵を、自分が握っているんじゃないかなと思うぐらいの気持ちでいます」。 U-18時代の3年間に渡って指導を仰いだ恩師であり、尊敬する明治学院大の古賀聡監督には、名古屋加入の報告と同時に、自分の進むべき道への決意をはっきりと宣言したそうだ。 「古賀さんは『アカデミーからクラブを変えるんだ』という本当に大きな野望を持ってグランパスに入ってこられて、実際に大きな変革がありましたし、あの人が残した素晴らしい文化がアカデミーには根付いています。ただ、それをトップに繋げられるのは選手なので、『古賀さんがクラブを変えたいと思って名古屋に来てくれた野望を、今度は僕がトップチームで表現できるように頑張ります』とは伝えさせていただきました」。 プロサッカー選手としての覚悟と、アカデミー出身者としての覚悟。生半可な気持ちで選んだいばらの道ではない。でも、やる。やるしかない。この決断を後押ししてくれたすべての人たちのために、力強くチームを背負う存在に、誰もが認めるグランパスを象徴する存在に、必ずなってやる。2つの覚悟を纏った加藤の決意は、絶対に揺らがない。 2024年12月22日。あの日から1年と1日。インカレ準々決勝。筑波大は再び明治大と向かい合う。5月の天皇杯1回戦では勝利を収めたものの、リーグ戦ではアウェイで引き分け、ホームでは敗戦。今季の対戦成績は1勝1分け1敗となっており、最後の最後で決着を付ける機会が巡ってきた。 「天皇杯は完璧に僕らが試合を支配して勝ったんですけど、リーグ戦の前期は(天皇杯の)ゼルビア戦から中2日で、ヘロヘロの中で耐えて、耐えて、最後の最後でポロッと折れてやられましたし、後期は90分間圧倒的に支配されて、何もできずに終わったので、やっぱり明治にやられることで、何かを変えなきゃと思って、また新しく取り組みを変えたり、上積みをしたり、トライはしてきましたね」。加藤にとっても、これが筑波の選手として明治を倒すラストチャンスだ。 加入内定リリースを出すタイミングも、クラブとしっかり話し合っていた。「インカレの前にリリースを出したいとクラブにお願いしました。部員のみんなにもちゃんと説明しましたし、蹴球部を応援してくださる皆さんにも『アイツは最後の大会なんだ』と思って、応援してもらえるようにとも考えていました」。 大学最後の大会を前に“いつも通り”を心掛けていたものの、いつもとは違う自分もしっかりと感じていた。「来年からプロに行くからどうこうというのは、思っていないつもりでしたし、自分としては去年のインカレと何も変わらず、120パーセント勝ちたいという想いでしたけど、グループリーグからメチャメチャ緊張しましたし、今日もちゃんと緊張しましたし、やっぱり力が入っていたんだなと思います」。無理もない。負ければその時点で、この3年間のすべてを注いできた蹴球部の活動に終止符が打たれるのだから。 今季4度目の対戦は、お互いを知り尽くしているだけに、立ち上がりからどちらも慎重なプレーが目立ち、なかなか決定機を作り出すまでには至らなかったが、0-0で迎えた前半のアディショナルタイムに16番へ決定的なチャンスがやってくる。 スローインの流れから、FW半代将都(4年=大津高/熊本内定)、MF角昂志郎(4年=FC東京U-18/磐田内定)、MF清水大翔(1年=C大阪U-18)と細かくパスを繋ぐと、加藤が思い切り良く叩いたシュートは枠を捉えるも、相手GKが懸命に弾き出したボールはクロスバーの上へ。先制点は奪えない。 90分を終えても、120分を終えても、スコアは動かず。決勝進出の行方はPK戦へと委ねられる。先攻の筑波大は1人目がまさかの失敗。後攻の明治大1人目は確実に成功。ミスは許されない状況で、2人目のキッカーとして加藤がスポットへと歩みを進めていく。 大きく深呼吸。助走は二歩。GKと逆側のゴールネットへボールを突き刺すと、右手で小さくガッツポーズ。GK佐藤瑠星(3年=大津高)を抱擁で励まし、あとはチームメイトにすべてを託す。だが、明治大は5人全員が成功。筑波大が期した1年と1日越しのリベンジは、果たせなかった。 「清々しいと言えば清々しいですけど、悔しさもありますし、寂しさもあって、いろいろな感情が混じって、うまく表現できないですけど、これも実力だなという感じです」。いつもは理路整然と言葉を並べていく加藤にしては珍しく、状況を整理しきれていない様子が見て取れる。その姿にこの負けが持つ意味の大きさを実感した。 でも、本人はそれでいいと思っていた。「そもそもまだ3日後に試合があるつもりでしたし、さらにその後には決勝戦に勝つつもりだったので、2か月後にはもうJリーグが開幕して、もうそこに出ているかもしれないなんて、正直まったく実感がないですけど、今はもうこのグシャグシャな感情を自分の中で整理して、それを味わう時間も必要だなって」。 「すぐに切り替えられるタイプではないですし、この時間も大切にしたいので、ちゃんと悔しさを自分の中で消化しながら、みんなへの感謝も湧き上がってきますし、筑波でやってきた自分の取り組みも肯定してあげたいですし、それをちゃんと整理したいと思います」。話しているうちに、少しずついつもの感じを取り戻していく。 もう1か月もすれば、名古屋の2025シーズンが始動する。加藤にとっては先輩たちと切磋琢磨する日々が幕を開けるわけだが、とりわけ“再会”を楽しみにしている同じポジションの選手がいるそうだ。 「稲垣選手は『オマエみたいなヤツがグランパスに戻ってきてやらないといけないんだ』と言ってくれたんです。そもそも同じポジションですし、もしかしたら僕に定位置を奪われるかもしれない選手がそういう発言をできるなんて、本当に素晴らしい人間性の方だなって思ったんですよね」。ちょうど一回り年の離れた稲垣祥も、ここからはチームメイトであり、強力なライバル。その競争が生活へ直結する世界に足を踏み入れていく。 改めて、ここからの自分への期待が口を衝く。「こんなデカいこと言って、レンタルとかされたらダサいですけど(笑)、1年前倒しで行くからと言って、気負ってうまくいかない時間を過ごすつもりも毛頭ないですし、限りあるプロサッカー選手としてのキャリアを良い時間にするために、筑波での想いを胸にグランパスで頑張りたいなと思っています」。 プロサッカー選手としての覚悟と、アカデミー出身者としての覚悟。生半可な気持ちで選んだいばらの道ではない。でも、やる。やるしかない。この決断を後押ししてくれたすべての人たちのために、力強くチームを背負う存在に、誰もが認めるグランパスを象徴する存在に、必ずなってやる。2つの覚悟を纏った加藤玄の決意は、絶対に、絶対に、揺らがない。 ■執筆者紹介: 土屋雅史 「群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に『蹴球ヒストリア: 「サッカーに魅入られた同志たち」の幸せな来歴』『高校サッカー 新時代を戦う監督たち』