『修道士は沈黙する』アンドー監督、世界経済リードする一握りの人間を疑う
「貧富の差をなくそう」の主張が、むしろ新しい貧困層を生む現状
本来、世界銀行とIMFは国連の姉妹機関だ。加盟国の経済水準の向上のために存在し、前者は経済開発と貧困問題の是正に、後者は市場機構の不備を経済政策で補うことに注力し、それぞれ補完関係にあるはずのもの。 「ダボスの世界経済フォーラムなどで、経済界のリーダーたちは、貧富の差をなくそうと主張しますが、起きていることはまったく逆で、むしろ新しい貧困層が生まれています。これまで中間層だった人々が貧しくなり、貧困に喘いでいた人々はさらに困窮している。その一方で、富裕層には国家予算規模の財産を持つ人間もいる。貧富の差は拡大しているのです。格差は、不満を煽ることで大衆を操作し、権力を維持しようとする“ポピュリズム”を生み出します。ポピュリズムを受け入れてしまう背景には、貧困ゆえに本を読むこともできず、正しく理解する術を身に着けられないという悪循環もあります。自由を得るためには学ばなければならない。でも手立てがない。ポピュリズムが蔓延すると、ちょっとおかしなことを言う人間、大風呂敷を広げる人間に先導され、彼らが選挙に出ると、みんな投票してしまうのです」 ポピュリズムを生み出す経済格差。しかし現状では、格差社会を是正する動きを“阻む”流れのほうが力を持っているようだ。『ウォール・ストリート・ジャーナル』が、「キム総裁が世界銀行をベースに行う活動を縮小しなければ、世界の経済は滞るだろう」と書くように。 「やり方はいくらでもあるはずです。しかし、それは望まれていない。経済が“神”と化した今、経済学は神学なわけです。でもそれが示すのはホロスコープ(占星術)みたいなもの。とんでもない方向へ人々を導こうとしています。イタリアは3月に総選挙があり、貧しい人の所得を上げる政策を掲げていますが、もしこれが裕福な人々の利益を脅かすのであれば、実現はしないでしょう」
裕福になった途端に絵を買った知人の行動をもとに映画にしたシーン
映画のなかで興味をひかれたのは、まだ市場に出ていないセザンヌの絵の値付けにロシェが迷うエピソード。アートに経済的価値を付けさせるこのアイデアは、監督のものなのかと問う。 「私のアイデアですが、実体験です。知り合いにものすごく裕福になった人がいました。驚いたのは、そうなった途端、彼らが絵を買い求めたことです。ルーチョ・フォンタナやダミアン・ハーストなどの彫刻や絵は、彼らのステータスシンボルとなりました。芸術的な価値を、経済的な価値に変えた。アートが、権力を持つ人間がそれを示すための道具になった瞬間です」 本作には、修道士に加え、絵本作家やミュージシャンがG8 の招待者として登場する。G8や世界経済フォーラムは、問題にちゃんと取り組んでいることを示す証言者として、ロックスターや俳優を呼ぶ。「それと同じ」だとアンドー監督。会食の後、ミュージシャンは、ルー・リードの『ワイルド・サイドを歩け』を歌う。大臣たちも一緒にそれを口ずさみ、酒を手に踊り、楽しむ。このシーンが、妙に印象的だった。 「今、60歳代の彼らは、ルー・リードと同世代。彼らは様々な抵抗運動に加わった末に、それを裏切って権力の側についた。ある意味、この歌を踏みにじって生きてきたわけです。『ワイルド・サイドを歩け』を歌うこのシーンでは、“心”を踏みにじっていることをシンボリックに表現しています」