妻が「お前のことを風俗と呼ぶ」と罵倒…第一三共元研究員は妻をメタノールで殺害したのか?法廷で語った壮絶“家庭内別居“
研究職同士で結婚も1年後に離婚危機
吉田被告と容子さんの出会いは2006年のこと。 二人は、大手製薬会社の第一三共の内定者同士として出会い、ともに研究職として入社した。 配属場所が違ったことから、頻繁に会うことはなかった二人だったが、同期が集まる飲み会などで時折顔を合わせ、次第に距離を縮めていった。2008年には、容子さんから吉田被告に交際を申し込んだ。 吉田被告は容子さんが喫煙することを理由に一度は断ったというが、翌年、容子さんから「たばこをやめる」と再度交際を申し込まれたことから交際がスタート。2010年に結婚した。 しかし最初の危機はすぐにやってきた。 結婚翌年の2011年。飲み会から帰宅した容子さんが、寝言で他の男性の名前を呼んだ。吉田被告の主張では、容子さんの携帯電話のメール画面には、男性との交際が疑われるやりとりがあったという。吉田被告は「離婚してほしい」と伝えたものの、容子さんが拒否。そこで会社を辞めるよう求め、容子さんは2012年に会社を退職した。 吉田被告は当時の容子さんについて、「プライドを持っていた仕事。博士号を取る機会や留学の機会を与えてくれる会社なので、自分の将来像が途絶えて落ち込んでいた」と話し、その後は、複数の会社に就職・退職を繰り返すようになったという。
妻への暴力と“育児ノイローゼ”
一方の吉田被告はその頃、会社から博士号取得の機会を得て、大学院に通うようになり、順調にキャリアを積んでいく。 2012年11月には、待望の第1子が誕生した。 しかし、「妻が求めるほど育児に参加できなかった」という吉田被告に対し、不満を持った容子さんは「育児放棄」と言いながら、吉田被告を動画で撮影したりするようになっていったという。 一方の吉田被告は、容子さんに暴力を振るっていた。 吉田被告: たばこを吸わないという約束を破ったのが許せず、たばこを見つけるたびに手を上げた。 翌2013年には容子さんが、“育児ノイローゼのような症状”になったといい、1ヶ月ほど実家に帰ったこともあった。 その後、再び生活を共にするようになったが、容子さんの“症状”は治まらなかったという。 そんな生活の中、吉田被告は風俗店に通うようになる。 吉田被告: 私なりに育児をして家事も手伝っていたつもりだった。よかれと思ってやったことも理不尽にキツいことを言われてつらくて。誰かに優しくしてほしくて甘えたいと思った。 この風俗店通いを知った容子さんは、吉田被告に全ての服の処分や、性病検査の結果を見せることを求めたという。