石原さとみの新境地、”ある事件”をモデルに情報社会の悪を描いた衝撃作『ミッシング』
石原さとみが体を張って、精神的に追い詰められていく役作りに挑んだ意欲作『ミッシング』が現在公開中。今作を手掛けたのは吉田恵輔監督。吉田監督というと、森田剛主演作『ヒメアノ~ル』(2016)が有名ではあるが、とくに近年の作品では、情報社会の闇を描くことが多くなっており、社会派監督としても評価が高い。 【写真】石原さとみの新境地、映画『ミッシング』場面写真【11点】 『空白』(2021)や『神は見返りを求める』(2022)のなかでも、メディアや情報社会における印象操作の在り方というものが、ひとつのテーマとして描かれていたが、今作は、正にそれが正面から描かれた作品である。 偏った正義感が被害者を加害者にさせてしまう負の連鎖と、それから抜け出せない闇。そして、それは誰もがそうなり得てしまう身近な不安や恐怖でもある。 話題性やおもしろさ、いわゆるエンタメを追求した報道を通して見た真実といわれるものは、果たして真実なのだろうか。 不安定な要素があるにも関わらず、何かを悪だと決めつけていないだろうか。“怪しい”とは何をもってそう言えるのだろうか。そしてそれも結局、メディアの情報や自分自身の推測でしかない。 今作は、様々な事件をモデルとしているのかもしれないが、中心核としてモデルになっているのは、明らかに「山梨キャンプ場女児失踪事件」である。 この事件は、行方不明になった少女や家族を心配する声が多いなか、一方では心無い人々によって、事件自体が自作自演などといった、多くの誹謗中傷がされた事件としても知られている。 もちろんそういった悪意のある書き込みやツイートをした者が悪いのだが、それを意図していなかったとしても、結果的に促してしまったのも、またメディアである。 そういったメディアのもつ“負の力”が全体を通して描かれているし、ニュースは中身よりも鮮度が命、旬のものであるということを改めて風刺しているのだが、吉田監督は、決してメディアに対する一方的な批判を描いているわけではない。 それだと、また別の偏った視点が生まれてしまうからだ。つまり受け止める側の意識に問いかけており、観客にとっても、決して他人事ではない居心地の悪さを感じる作品になっているはずだ。 ただ、『空白』や『神は見返りを求める』のなかで、極端な悪として描いてしまったことに対するメディアへのフォローともいえる部分もあるように感じられる。 それは、あるキャラクターの葛藤が強く反映されているからであった。