福薗伊津美「60で逝った夫・寺尾。入院中、現役時代に食いしばって割れた奥歯を磨き。人生をやり直せるなら、寺尾が相撲部屋の師匠となる時に戻りたい」
なにかと気を使ってくれる優しい人で、まもなく食事に誘われて。まだ22歳で女性とほとんどお付き合いしたこともなく、痴楽師匠に「次のデートはいつ誘ったらいいものなんですかね」などと相談したりしていたそうです。 私がバツイチであること、子どもがいることは伝えましたが、交際することになりました。いつもグループデート。「部屋にいるやつ、みんな来い!」と、十数人を一斉に集めるんです(笑)。仲の良かったノブちゃん(格闘家の高田延彦さん)とは、旅行にもしょっちゅう行きましたね。千秋楽翌日からのグアム旅行が定番でした。 寺尾は父である先代から、30歳まで結婚を禁じられていました。これは井筒部屋の伝統というか、決まりごと。先輩関取たちの中には、「師匠に結婚報告した時には、もう子どもが小学6年生になっていた」という方もいたのだとか。(笑) 10年ほどワイワイと楽しく交際し、息子と暮らす部屋に通ってきてくれていたので、私は結婚にまったくこだわっていませんでした。でも私が38歳になった時、年齢のことを考えたのか、寺尾から「子どもを作ろう」と言われて。40歳で次男を出産したのを機に、結婚しました。 子煩悩で、「自分以外に大切なものが初めてできた」と言っていたそうです。最期まで、携帯電話の待受画面は幼い頃の次男の写真でした。 性格は、とにかく真面目で繊細。弟子やその家族の誕生日をすべて手書きで表にして、事務所に貼っていました。 日頃の会話では、「死んだらどうなると思う? 魂はどうなると思う?」というようなことをしょっちゅう口にしていましたね。私はこの通りの性格ですから、「うーん、考えたことはあるけど、そんなの小学生の時だったよ?」と返してしまう始末(笑)。 知人が亡くなると落ち込みがひどく、鬱っぽくもなる。17歳で最愛の母を亡くしていたからか、死に対する恐怖が常にあったような気がします。
◆彼は、私の最大の趣味だった 今でも思い出して泣いてしまうのは、寺尾の奥歯が全部割れていて、残っていなかったことでしょうか。最後の入院中に歯を磨いてあげている時、初めて気づいたことでした。虫歯は1本もないのに、前歯も摩耗してちっちゃくなって、もう4ミリくらいしかなくて……。 同期の八角理事長(元横綱・北勝海)が、昔、「奥歯が残ってるような力士じゃダメだ」と言っていたのを思い出しました。相撲を取る時、グーッと歯を食いしばって力を入れるから、力士は奥歯が割れてしまうんですね。 でも、まさかここまでとは思わなかった。びっくりして「こんなになるまで頑張っていたのね。ありがとう」という気持ちで、毎日、寺尾の歯を磨いていました。 寺尾と結婚して、本当によかった。優しくしてもらいましたし、女冥利に尽きた人生だったので。 たとえば女性は、ファッションの一部としてバッグを持ったりしますよね。でも寺尾は私に持たせない。「女性に物を持たせてはいけない」と言われて育ったらしく、重くもない小さなバッグを、大事そうに胸に抱えるように持つんです。こちらが恥ずかしくなるくらい。 私だけじゃなくて誰にでも優しかったから、きっと勘違いした女性もたくさんいたんじゃないかしら、とも思いますが。(笑)