なぜ私たちは眠り、なぜ起きるのか。「睡眠の起源」に迫る若き研究者の「原点」
クロアゲハの一日
最初に幼虫を見つけて以来、羽化して成虫になるまでの様子を、毎日ノートに記録していた。幼虫や蛹の様子についてメモを取り、自宅にあったデジタルカメラで撮った写真を貼り付けていたのだ。夏休みが終わるまでには数匹の幼虫を見つけ、同じように採集・飼育し、記録をつけた。 ある日、同じミカンの木で、まるで鳥の糞のようにも見える、白の模様が入った黒い幼虫を見つけて育ててみると、見慣れた緑色の幼虫に姿を変えることに気がついた。クロアゲハの幼虫は成長段階によって姿を変える。1~4齢幼虫までは鳥の糞に擬態した黒と白の模様で、最終の五齢幼虫になると、葉に擬態した緑色の姿になる。ミカンの木には、クロアゲハの幼虫だけでなく、ナミアゲハの幼虫もいた。さらに、軒先の花壇で育てていたパセリには、キアゲハの幼虫もいた。庭は、アゲハチョウたちの楽園だったのだ。 夏休みの終わりに、これまでの観察の記録を整理し、「庭にやってくる蝶に関する研究」と題して、9月の始業式に自由研究として提出した。学内で選抜され、地域のコンテストに出展されると、詳細な観察記録を評価してもらって入賞することになった。 それからというもの、私はアゲハチョウの研究に没頭した。翌年の夏には、アゲハチョウの卵を見つけようと、ミカンの木の葉を一枚一枚、必死に探し、なんとか薄黄色で半透明の卵を見つけ、また枝ごと切り取って飼育した。数日経つと孵化して、とても小さな幼虫が出てきた。一齢幼虫である。それがだんだん成長していき、青虫から蛹へと姿、形を変え、立派な成虫として旅立っていった。翌年の夏休みには、どんな自由研究をしようか。1年中アゲハチョウのことを考えていたものである。 庭先では、空を飛んでいるアゲハチョウをよく見かけた。その優雅な姿を見ては、「もしかすると、自宅の玄関で育てたアゲハチョウかもしれない」と考え、嬉しくなった。飛んでくるアゲハチョウを見ていると、不思議なことに気がついた。いつも同じ方向から飛んできて、同じ方向に飛び去っていく。まるで彼らのルーティンのようだ。 ルートは蝶道と呼ばれ、卵を産みつける木や、餌の場所などによって決まっているらしい。どうやら自宅の庭も、蝶道の一部のようだった。私は、蝶道がどのようにして決まるのかを解き明かそうとした。両親や祖父母に頼み、ホームセンターでミカンの苗木を購入して鉢植えにし、少しずつ場所を変えて、検証を重ねたのだ。この壮大な実験は小学生の間に完結するはずもなく、中学生になっても続けることになった。 毎年のように地域のコンテストで入賞していたからか、「あいつは次にどんな研究を提出してくるのか」と、学校中で評判になっていた。中学生のときに提出した自由研究の資料は数十ページに及び、補助資料や動画データも含めると、段ボール一式を提出するような、大掛かりな自由研究だったのだ。幼稚園の卒園文集に、将来の夢は研究者だと記していた私の思いは、小学校・中学校と進学するにつれて、より確固たるものになっていった。 そんな私は、蝶道のしくみを研究していて、あることに気がついた。アゲハチョウが飛んでいるのを見かけるのは午前中が多く、昼下がりになるとあまり見かけなくなるのだ。夕方になると再び見かけるようになるが、日が沈んで暗くなった後に見かけたことはない。日が昇る前、朝五時くらいに庭に出てみたこともあるが、やはり見かけない。彼らが活動する時間は、概ね決まっている。彼らは、日が昇るとどこからともなく飛んできて、夜になるといなくなる。 小学生のときだっただろうか。ある日、家族で外出をして午後八時ごろに家に帰ってきたとき、クロアゲハが玄関の外灯のそばに止まっているのを見かけた。夜にクロアゲハを見かけたのは初めてだったから、嬉しくなって、虫網を持ってきて捕まえようとした。 しかし、少し違和感があった。昼間に見かけるクロアゲハの様子とは違っていたのだ。外灯のそばでじーっとしている。周りには、たくさんのガが集まってきていた。さらによく見てみると、いつも見かけるクロアゲハよりも体が小さい。なんだか気味が悪くなって、捕まえるのをやめた。 気になって調べてみると、クロアゲハにそっくりな見かけのアゲハモドキというガの仲間がいるらしい。見た目こそよく似ているのだが、体が一回り小さい。ふつう、チョウの仲間は昼に飛び回ることが多く、ガの仲間は夜に活動することが多い。アゲハモドキは昼に活動することもあるが、夜になると外灯の光などに集まってくる習性がある。成虫の見た目はそっくりだが、アゲハモドキの幼虫は白い毛虫のような姿で、あの鮮やかな緑色をした青虫とは似ても似つかない。 玄関の外灯で夜に見かけたのは、アゲハモドキだったのだろう。それではいったい、本物のクロアゲハたちは、夜の間どこにいるのだろう? クロアゲハたちは夜になると、葉っぱの裏などに止まって、休んでいるらしい。クロアゲハたちが夜に葉っぱの裏に隠れて休んでいるとき、近づいても気づかれないことが多いという。警戒心が解かれ、反応性が低下した状態なのだろう。まるで眠っているかのようだ。周りの状況に注意を払わず休むことは、生き物にとってとても危険な行為のはずだ。なぜ、そんなリスクを冒してまで、クロアゲハは休むのだろう? つづく「意外と知らない、人類はこれまで「睡眠」について何を考えてきたのか」では、哲学者や思想家が眠りという現象についてどう考えてきたのか、睡眠をどう定義できるのか、などについて掘り下げる。
金谷 啓之