なぜ私たちは眠り、なぜ起きるのか。「睡眠の起源」に迫る若き研究者の「原点」
私たちはなぜ眠り、起きるのか? 長い間、生物は「脳を休めるために眠る」と考えられてきたが、本当なのだろうか。 【写真】「脳がなくても眠る」って一体どういうこと!? 「脳をもたない生物ヒドラも眠る」という新発見で世界を驚かせた気鋭の研究者がはなつ極上のサイエンスミステリー『睡眠の起源』では、自身の経験と睡眠の生物学史を交えながら「睡眠と意識の謎」に迫っている。 (*本記事は金谷啓之『睡眠の起源』から抜粋・再編集したものです)
一匹の青虫
私は、山口県の自然豊かな山村で生まれ育った。周囲を山々に囲まれ、見渡すかぎり緑が広がっている。川の水は透き通っていて、魚たちが泳いでいる様子がよく見える。少し開けた土地には、川から水を引いた田んぼが広がり、その脇には家々がひっそりと佇んでいる。そこでは、鮮やかに命を全うする生き物たちが主役であり、人間は生き物たちの営みに彩りを添える脇役に過ぎない。 私が小学3年生だった、8月はじめのある日のことだ。太陽が山肌から顔を覗かせ、蝉たちが鳴き始めた頃、庭の手入れをしていた祖父が、ミカンの木に大きな青虫がいると教えてくれた。子どもの人差し指くらいの大きさはあろうかという、大きな青虫だ。私はその立派な姿に驚いて、心が高鳴った。大人の背丈ほどの高さがあるミカンの木の葉っぱは、虫に食われて芯だけが残されている。この青虫に食い尽くされてしまったのだろうか。 この青虫は、いったい何なのだろう?青虫の正体を知りたくなって、昆虫図鑑を持ってきて調べることにした。生き物が大好きだった私は、何かを見つけると、すぐに図鑑で調べたくなる。図鑑をめくっていくと、あるページで手が止まった。目の前にいる青虫とそっくりな写真が載っていたのだ。その写真のそばには、黒い羽に赤と白の模様の入ったチョウの写真が載っていて、クロアゲハと書かれていた。大きなアゲハチョウだ。 私は驚いた。このずんぐりとした青虫が、優雅に空を飛ぶアゲハチョウになるのだろうか?にわかには信じがたい。本当にそうなのかを確かめたくなって、青虫がいた枝を、そのまま根本の部分から切り取ってプラスチック製の虫かごに入れ、玄関の下駄箱のそばで飼ってみることにした。青虫はびっくりするほどたくさんの葉っぱを食べ、2~3日に1回は新しい枝を切ってこなければならなかった。青虫はさらに大きくなり、ある日突然、全身を薄い皮に包まれた蛹になった。 蛹は、まるで枝と一体化したかのように、ぴくりとも動かない。いったいいつになったらこの蛹がかえるのだろう?本当にあの黒い羽をもつクロアゲハが出てくるのだろうか?気になって仕方がなかった。数日経っても、蛹の様子は一向に変わらない。「たくさん見すぎて、弱ってしまったのではないだろうか」と心配した。 さらに数日経つと、蛹が少し黒ずんできた。やはり死んでしまったのか……。心が塞がったような気がする。だが、蛹の内側が黒くなっているということは、もしかするとあの黒い羽のクロアゲハが、中にいるのかもしれない。そう期待を膨らませた。 蛹になって10日目の早朝、私は母に起こされた。今までぴくりとも動かなかった蛹が、左右に揺れているというのだ。パジャマを着たまま急いで玄関に行って見てみると、蛹はそれまでと同じ枝にくっついている。よく見てみると、蛹の皮が残っているだけで、もぬけの殻だ。虫かごの蓋に目をやり、驚いた。そこには、黒いチョウが止まっているのだ。ほっそりとした胴体に、華奢な脚と触角、そして大きな黒い羽をもっていた。それは、立派なクロアゲハだった。 羽は最初、濡れてしわくちゃだったが、それが乾いて粉っぽくなってくると、真っ黒に見えていた羽に赤と白の模様があることに気がついた。図鑑に載っていた写真の通りの姿だ。庭に出て、クロアゲハを手の甲に載せると、ゆっくりと羽を上下に動かし始めた。しばらくすると、もう飛び方を知っているかのように、大きな羽を羽ばたかせながら、強い日差しの夏の空へ飛び立っていった。