【毎日書評】人生はそもそも厄介なもの。養老孟司さんが考える「人生の壁」
大ベストセラーとなった2003年作『バカの壁』を筆頭に、『死の壁』(2004年)、『自分の壁』(2014年)、『ヒトの壁』(2021年)などの“壁シリーズ”を続々と生み出してきた養老孟司さん(以下:著者)による新作は、『人生の壁』(養老孟司 著、新潮新書)。 この11月で87歳になられ、「『壁』シリーズもそろそろお終いかと」感無量だという思いを抱いていらっしゃるのだとか。“お終い”かどうかはさておいても、いまここで人生について語られるのは、とても意味のあることではないでしょうか。 本書では、自分の人生も残り少なくなった爺さんが、子どものことやら青年のことやら、世界のことやら日本のことやら、あれこれ心配しています。 中国もののテレビ映画を見ていたら、人生百年にも及ばないのに千年の憂いを語る、という詩が詠まれていました。 私が考えたりする程度のことは、とうに古人も考えたに違いないのです。若かったらそういうことを考えると、自分のオリジナリティーはどこにあるかなどと思ってがっかりするかもしれませんが、歳をとると昔に知己を得ることがむしろ嬉しくなります。だから古典を読めなどと年寄りが勧めるのでしょうね。(「まえがき」より) 『バカの壁』でも指摘されていたとおり、現実(実在)と思う対象は、人によって異なるもの。いまもなお、同じことをしみじみ感じると著者は述べています。 性格とか、価値観とか、信念とか、さまざまな言い方がありますが、私の場合にはなにを現実と見なすかが、いわばひとりでに決まってしまっており、周囲にとっては迷惑な話かもしれませんが、それをそのままで生きてきたのです。(「まえがき」より) こうした考えに基づく本書のなかから、きょうは第5章「人生の壁」内の「人生とは学習の場」という項目に注目してみたいと思います。
とらわれない、偏らない、こだわらない
著者は昨今、人生相談に乗る仕事もしていらっしゃるようです。でも実のところ、人生相談に対する答えは「とらわれない、偏らない、こだわらない」の3つに集約されるのだといいます。 悩みを抱えている人の多くは、ひとつの見方にとらわれているもの。だから、「とらわれない、偏らない、こだわらない」姿勢を持ってみてはどうかと提案するのだそうです。 それ以外は、「相談者の感情をどれだけ処理するか」の問題になるそう。相談をする場合、当事者は過程をある程度整理し、問題点を抽出する必要があります。したがって、悩みを言語化して、他人に伝える──「相談」という行為そのものが、感情の処理になるということです。 昔の日本人は、これを和歌や短歌でやっていたのかもしれません。好きな人に会えないだの、出世できなくて悔しいだのといった苦しみを詠んだものが多いでしょう。言葉をそういう風に使って生きていたと言ってもいい。(184ページより) ところが現代において、ことばは感情ではなく論理を述べる道具になっている。その結果、悩みを上手に吐き出せなくなるのではないかと著者は推測しています。(184ページより)