喪失感を抱きながらも、傷つきはしなかった――大竹しのぶがコロナ禍に思うこと
空席が目立っても、芝居の最中は夢中で目に入らないのだという。 「カーテンコールで客席が明るくなると、『お客様はこれだけしかいなかったんだ』と毎日思いました。感染者数によって、半分にも満たない日がたくさんあった。でも、こんなにあったかい拍手をしてくださったんだ、と。一人の方が、2人分も3人分も拍手してくださってるんだと分かって、ただただ感謝という日々でした。この状況の中で見に来てくださるお客様がいるのは、すごくありがたいこと」 がらんとした客席から熱い拍手を受けて、自身の芝居に対する思いに改めて気づいた。 「客席にたった一人しかいなくても、誠意をもって芝居を届けようと思いました。それでも私はこの芝居を伝えたい、やりたいからやってるんだって。舞台に立つということの、初心に戻ったんです」
さまざまな公演のオンライン配信も増えたが、生の観劇とは異なる体験だ。 「舞台中継を映像で見て、ストーリーや感情は分かるかもしれないけど、そこにあるものは、絶対生じゃないと分からないと思うんです。目の前に立っている人のオーラも含めて、面白い。『愛している』という言葉を言うにしても、画面を通すと、その波動は感じられないですよね。開演5分前のベルが鳴るワクワク感や、お客様のザワザワ感も、やっぱり家では味わえないですし」
「生きていくんだ」というエネルギー
今は、舞台『フェードル』に向けて稽古を重ねている。『フェードル』はギリシャ悲劇を題材にしたフランスの古典文学だ。大竹は初めてギリシャ悲劇に取り組んだ時、アテネを訪れた。 「17年前ですね。蜷川幸雄さんが『ギリシャ悲劇をやるんだったら、ギリシャぐらい行ってこい』と言うので、世界で一番古い劇場に行きました。すり鉢状になっていて、一番下で手を打ってもパーンと響くような、よくできたつくりで。その時、そこはもともと、病院だったと聞いたんです。メンタルから病気を治すために、患者に合わせて、悲劇を見せたり喜劇を見せたりしていたと。演劇は一つの治療法だったんですね。役者というのはそういう仕事なんだと、感動しました」 ギリシャ悲劇を初めて演じて、「演劇の原点」だと感じたという。今、またその原点に立ち戻る。 「ギリシャ悲劇というと難しい感じがしてしまうんですけども、『フェードル』は話としては本当に単純。感情がすごく分かりやすくて、好きは好き、憎いは憎い。激しいんです。来てくれるお客様に、『すごいものを見ちゃった』『エネルギーをもらった』と思ってもらわないといけない。魂を揺さぶる、『生きていくんだ』というエネルギー。『下を向きそうでも、前を見て生きて』って伝えたい。『立ち向かって生きていかないとやられちまうぜ』という感じですね」