百合子さまの斂葬の儀 瑶子さま「金髪ピンクメッシュ」は上品な栗色に 承子さま「細眉と茶髪」の平成ギャルスタイルで参列されたことも
儀式では、百合子さまの祭壇に拝礼して席に戻る際に、喪主の彬子さまと親族方に対して一礼をして着席するのが流れだ。しかし、それぞれの国の習慣の違いなのか、駐日大使の一段が拝礼した際には、コートのポケットに手を入れたまま、彬子さまに一礼する参列者もいた。 ■弓なりの細眉に茶髪の「平成ギャル」風 髪の色と言えば2002年に、高円宮さまが亡くなられた。「斂葬の儀」にあたって、当時高校生だった長女の承子さまが、シャギーの入った茶髪のまま参列されて話題を集めたことがあった。 今では落ち着いた大人の女性の雰囲気を持つ承子さまは、故・高円宮さまの墓所祭などでも長女として立派に務めを果たされている。 しかし、このときは流行していた眉尻をキュッとカーブさせて弓なりに描いた細眉に、シャギーの入った明るい茶色のストレートヘアにミニ丈まであげた制服。ルーズソックスではないものの髪型やメイク、装いともにソフトな「平成ギャル」風のスタイルのまま、参列されたのだ。 当時を知る人物は、こう振り返る。 「皇族といえども親に反発する時期はあります。そうした時期でしたし、父である殿下の急逝で、髪を染め直すどころではなかったのでしょう」 そしてこの日の百合子さまの「斂葬の儀」。三笠宮家の事情を知る人物は、幄舎に着席した皇族方を目にして、険しい表情を見せていた。 百合子さまの長男である故・寛仁親王の妃である信子妃殿下は、逝去にともなう一連の儀式に参列されていなかった。百合子さまが亡くなられた11月15日の午後に、信子さまも三笠宮邸を訪れたものの、弔問はできなかったとも言われている。 「ご本人が望んでおられないのならやむをえませんが、参列したくても阻止されたのであれば、禍根を残し、亀裂を深めることになる。もちろん、三笠宮家の方にしか本当の事情は分かりません。それでも残念、遺憾といわざるを得ません」 そして、京都を拠点に活動を続ける彬子さまと、宮邸で百合子さまのそばで寄り添ってきた瑶子さまの間にもすれ違いが生じつつある、とも噂されている。三笠宮家の「新当主」の行方など、整理すべき事柄はすくなくないようだ。
百合子さまのご遺体は、落合斎場で火葬されたのち、午後に墓地に戻った。彬子さまや皇族総代の高円宮妃久子さまらが見守るなか、営まれた「墓所の儀」で、百合子さまの遺骨は三笠宮さまが眠る墓に埋葬された。 副葬品として、家族写真やお子さまの乳歯、母の高木邦子さんの手縫いの着物、いつも楽しまれていた漢字のパズルゲームなどが一緒に納められたという。 (AERA dot.編集部)
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