初の3割もダウン提示「何を考えているのか」 “ウハウハ”のはずが…中日主砲が覚えた怒り
1988年の日本Sは西武に1勝4敗で敗退…宇野勝氏は敢闘賞
元セ・リーグ本塁打王で元中日内野手の宇野勝氏(野球評論家)は、18年の現役生活の中で1シーズンだけ打率3割を超えた。プロ13年目の1989年で.304をマークした。前年(1988年)に遊撃のポジションを明け渡した立浪和義内野手が右肩痛で出遅れたため、遊撃手に戻っての活躍だった。ところが、そのオフに思わぬ事態に遭遇した。「3割打ったのに年俸がダウン提示だったんだよ」。目が点になったという。 【画像】契約更改で顔を真っ赤して激怒…ダウン提示に納得がいかないセ・リーグ内野手 1988年にセ・リーグを制覇した星野中日だが、日本シリーズは森祇晶監督率いる西武に1勝4敗で敗退。日本一には届かなかった。宇野氏は西武球場での第3戦(10月25日)に工藤公康投手、第5戦(10月27日)は渡辺久信投手から一発を放って気を吐き、シリーズ敢闘賞を受賞した。「第5戦は(2-3の3回に)右中間に2ランを打って逆転したんだけどね。結局負けちゃったんだよね」。点の取り合いになったが、強い西武が粘り腰を見せた。 6-5の9回裏に中日守護神の郭源治投手が石毛宏典内野手に同点アーチを浴び、延長11回に伊東勤捕手にサヨナラ打を許して力尽きた。「(第6戦からの)名古屋に帰れるかなと思ったら、源ちゃん(郭)が打たれちゃったね」と宇野氏は残念そうに話す。もっとも、この日本シリーズはナゴヤ球場での第1戦の2回に飛び出した西武の若き4番打者・清原和博内野手の先制場外アーチで短期決戦の流れを西武に持って行かれた感じだった。 「あれは度肝を抜かれたよねぇ。どこまで飛ぶんだって思ったもん。とんでもない当たりだったね。(中日先発の)小野チン(小野和幸投手)のスライダーをパカーって打ってねぇ……」。あれから36年経った今でも宇野氏はよく覚えている。清原の場外アーチはそれほど超スペシャルな衝撃弾だったわけだ。 翌1989年の中日は豪州ゴールドコーストで初めてキャンプを行った。ゴルフ場に隣接されたパームメドウ球場で、誰もが大汗をかきながらの調整だった。「ちょっと暑すぎるくらいだったね」。この時、多くのナインがハマったのはカジノ。「練習が終わって、ちょっとゆっくりしてからカジノに行っていた。(スポンサーから)VIPルームのカードをもらって飲み物、食べ物は全部タダだったから、そこで食事もしていたよね」。