産後うつ サポート活動をする女性の壮絶体験
泣き声は非常ベル、恐怖感じた
長男がナーバスなタイプでなかなか寝なかった。新生児が突然死するSIDSのパンフレットを退院時に渡され、「死んだらどうしよう」と心配だった。「産後は授乳で眠れません。よく赤ちゃんと一緒に昼寝しろと言われますが、神経がたってしまい、そばで見つめていてますます寝不足になりました」。 自宅に帰ってすぐ、全身にじんましんができた。かゆくてイライラする。夫が帰宅して、長男を見てくれても緊張が取れない。新生児を連れて病院に行く気にもなれなかった。 保健師の新生児訪問は、抱っこの仕方を教えてもらっただけ。息子が泣くのが怖くて、泣き声が聞こえると非常ベルのように感じて身の毛がよだつ思いだった。産後3ヶ月、家の外に出なかった。週末に夫がいる時、オムツを買いに行っても走って帰ってきた。買い物は生協の宅配を利用した。 Aさんは料理ができなくなって、菓子パンや麺類を食べていた。 長男が6カ月になったころ、親類のいる地域に引っ越し、預けてやっと皮膚科に行った。普通の薬をもらったが、良くならない。「ストレスかもしれないので精神科に行ったら」と勧められ、Aさんは「病気のレベルなんだ」と初めて自覚した。 そのころ心療内科にも行き、神経性抑うつ症と診断され抗うつ薬が出された。 その診療内科でも、産後うつのことは話題にならなかった。「産後のブルーは放っておいたら何とかなると思われていた時代。知識も行政の取り組みもなかったんです」 とAさん。 抗うつ薬はまじめに飲んだが、効いている感じはしなかった。問診で聞かれても、「前回と同じです」としか言葉が出てこなくて、「前の薬を出しておきますね」で終わる。当時はコミュニケーション力がなく、自分の症状を伝える術がなかった。2年ぐらい通ううちに、ジリジリと症状が悪くなった。
死ぬこと、殺すことがちらつく
長男が2歳半のころ、自分が死ぬことや、息子を殺すことが頭にちらつくようになった。タオルを見ると息子の首にかけて巻きつけている映像が浮かぶ。ベランダで洗濯物を干す時に、落ちるイメージが湧く。台所に行っても怖くて何もできない。お風呂も赤ちゃんを沈める想像をして怖い。 Aさんは、布団から出られなくなった。カーテンを閉めて、布団の脇におもちゃを置いて長男を遊ばせていた。ママ、と言われても、はねつけていた。 「そうしないと自分が何をするか分からなかった。夫が息子を見ている間は、そこまでしんどくない。台所に立つこともできたんです」。