【陸上】「1964年東京五輪代表の集い」開催、往年の名選手が60年前の思い出に浸る
「1964年東京オリンピック陸上代表の集い」が11月19日、東京・新宿区のオリンピックスクエア内にある日本スポーツマンクラブで行われ、代表選手12名が出席した。 懇親会に参加した1964年東京五輪陸上代表をチェック! 60年前の東京五輪に向けて、アスリートが第一線を退いた後も長く健康でいられることを願った国際オリンピック委員会(IOC)の発案により、同大会のすべての競技の代表選手を対象にした体力測定が世界各国でスタート。しかし、五輪イヤーの4年ごとに行われ測定も10数年後には実施国が激減し、現在まで続いているのは日本だけだという。 この日は東京・北区の国立スポーツ科学センター(JISS)で体力測定を行い、陸上代表の有志が国立競技場近くの日本スポーツマンクラブへ移動して旧交を温めた。
五輪3大会連続出場のレジェンド、「東京大会には特別の思い入れがあった」
陸上代表が集まるのはロンドン五輪イヤーだった2012年以来12年ぶり。男子三段跳で1956年メルボルン、1960年ローマ、1964年東京と3大会連続出場の実績を誇る櫻井孝次さん(88歳)は、「3つの五輪の中でも東京は特別な思い入れがあったので、一緒に出場した仲間と再び当時の思い出に浸ることができてうれしい」は話していた。 また、東京から3大会連続で五輪に出場している男子マラソン代表の君原健二さん(83歳)は「初めての五輪ではいろんな有名選手にサインをもらって歩き、それが後にテレビ番組で100万円の値打ちがあると鑑定されたほど。試合前にそんなことをしていた覚悟の低さが、銅メダルを獲得した円谷(幸吉)さんと(8位で)入賞も逃した私との差だった」と言って出席者の笑いを誘った。しかし、東京での悔しさが次のメキシコ五輪の銀メダル、さらに4年後のミュンヘン五輪の5位入賞につながった。 この集いには、12年前も招かれていた元JOC専務理事の市原則之氏をはじめ、日本陸連の尾縣貢会長、風間明副会長が来賓として、女子100mハードルの寺田明日香(ジャパンクリエイトグループ)が現役アスリート代表で出席。 コロナ禍の2021年、無観客の国立競技場で開催された東京五輪に出場した寺田は、「大会前に(1964年東京五輪女子80mH5位入賞の)依田郁子さんの甥からご連絡をいただいて激励を受け、それがすごく力になりました。皆さんがつないでくださった想いを、私たちも次の世代につなげていきたい」と述べていた。 日本陸上界は来年9月に控える東京世界選手権を盛り上げるためにさまざまな施策を練っており、往年のオリンピアンも大切な〝応援団〟という位置付け。最高峰の陸上イベントの魅力や熱気を直接感じられる貴重なチャンスで、出席者は窓越しに国立競技場を眺めながら「来年、再びここに来られるように健康でいよう」と誓い合っていた。
月陸編集部