「サブカルとJ-POP」1960年代編、深夜放送、アングラ、フーテン、全共闘
コミカルという言葉をJ-POPの中に定着させたクレイジー・キャッツ
五万節 (オリジナルヴァージョン) / ハナ肇とクレイジー・キャッツ 1961年12月に発売になりましたハナ肇とクレイジー・キャッツの「五万節(オリジナルヴァージョン)」。戦争が終わって14年。1959年とか1960年ということですね。彼らも米軍のキャンプ出身ですね。米軍のキャンプでジャズをやっていた。その頃はキューバン・キャッツという名前で、見ていた兵隊さんがあいつらクレイジーだというふうに言ったことで、クレイジー・キャッツという名前になった。渡辺プロのオリジナル・メンバーなんですね。彼らも自由な演奏とアドリブということで、コミカルという言葉をJ-POPの中に定着させました。「サバ言うなこの野郎」、流行りましたねー。 クレイジー・キャッツに傾倒、心酔していたのが大滝詠一さんでありまして、1986年にクレイジーの30周年記念盤が出たんですけども、その中に「新五万節」というのを大滝さんが一緒になってアレンジした曲もありました。そして、クレイジー・キャッツのベスト盤の監修も大滝詠一さんです。ノベルティ・ソングの先駆者であり、巨人ですね。 1961年8月のクレイジー・キャッツのデビュー曲「スーダラ節」。これが今では当たり前の外部原盤の走りなんですね。レコード会社ではなくて制作会社、事務所が原盤を作る。渡辺プロがその第一号。作詞が青島幸男さん、作曲が萩原哲晶さん。テレビがサブカルだった時代が60年代の前半ですね。「おとなの漫画」とか「シャボン玉ホリデー」とか、ザ・ピーナッツとのコンビでクレイジーはお茶の間に笑いを振りまいてくれました。テレビがサブカルだった時代の音楽番組「ザ・ヒットパレード」。洋楽のカバー曲がランキングになっている番組ですね。アメリカで流行っている英語の歌がすぐに日本語で聴けた。ここに先週話をした米軍キャンプで歌っていた10代の少女が続々と登場してくれたんですね。そんな中の1人の曲です。 子供ぢゃないの / 弘田三枝子 1964年発売、弘田三枝子さんの「子供ぢゃないの」、デビュー曲ですね。オリジナルはへレン・シャピロで訳詞が漣健児さん。シンコー・ミュージックの専務でありました。弘田三枝子さんはこのとき14歳ですよ。都はるみさんが出てきたときにうなり節というふうに言われて、あ、弘田三枝子と思った記憶があります。歌の中でうわっと唸るというのは、このみこちゃんが最初だったのではないでしょうか。 幼稚園のときにFENを聴いてアメリカン・ポップスに目覚めて、7歳でティーブ・釜萢さん。かまやつひろしさんのお父さんのジャズ学校に通っていて、8歳のときに米軍キャンプで歌うようになった。8歳ですよ。歌のパンチという言葉は彼女で定着しました。ミス・ダイナマイト。サザン・オールスターズの「MICO」という曲がありますが、あの中にこのMICOちゃん、弘田三枝子、名前が出てきますからね。弘田三枝子さんが亡くなったときに山下達郎さんが熱い熱い追悼の言葉を贈っておりました。あんなダイナマイトのようなタイプはいない。和製ブレンダ・リー。この和製なんとかというのは、サブカルの証かもしれませんね。和製ジェームス・ディーンとか、和製プレスリーとかいっぱいいました。そこからオリジナルに繋がっていった。この人もそんな1人です。 見上げてごらん夜の星を / 坂本九 1963年発売、坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」。レコードは1963年に出たのですが、1960年に同名のミュージカルが上演されているんですね。今の曲の作詞が永六輔さん、作曲がいずみたくさん。その2人のコンビのミュージカルが行われてこの曲が歌われました。坂本九さんは60年代前半のサブカル・ヒーローの1人ですね。永六輔さんと中村八大さんの「上を向いて歩こう」。これが1963年に「SUKIYAKI」というタイトルで全米1位になりました。どっちにしようかなと思ったんですね。「上を向いて歩こう」か「見上げてごらん夜の星を」にしようか。 これにしたのは理由がありまして、いずみたくさん。CMソングの出身なんですね。先週50年代のサブカルの巨人で触れそこねた三木鶏郎さんという方がいらっしゃったんです。放送作家、そしてCMソングの作詞作曲の大巨人。昭和30年代のCMソングの7割ぐらいは彼が作っていたという人ですね。冗談工房というCMの制作会社を彼は作っておりまして、いずみたくさんとか五木寛之さんとか、野坂昭如さんが作家として所属していた。で、カバン持ちのプロデューサーだったのが、大森昭男さんというオンアソシエイツという制作会社を作った。これは70年代、来週の話ですけどね。 で、CMソング出身の最大の作曲家がいずみたくさん。しかもその前、彼は歌声運動というのをやっていたんですね。この「見上げてごらん夜の星を」は舞台が定時制高校。今ほとんどないでしょう、定時制高校。そういう青春がとてもみずみずしかった。それも60年代のサブカルだったのではないでしょうか。 この後もいきなり曲からなのですが、この歌も放送では流れない時期があったんです。