【オートレース】グランプリ制覇と大けがと―。天才・武藤博臣は輝き続ける~浜松G1スピード王決定戦
◆スピード王決定戦(G1、11月27日開幕、浜松オートレース場) 「もう、自分のお母さんが一番大変だよ~」 武藤博臣は苦笑い全開にそう言った。 今から41年前。 1983年に彼は生まれた。 幼小のころからオートレースが好きだった父親に船橋オート場へ連れられ、いつしか選手になることを志した。 そして、2003年。 船橋所属、28期生としてレーサー人生をスタートさせた。 たった数年で、2007年のSGオートレースグランプリを完全Vで果たし、そのわずか数か月後に生死をさまよう落車負傷を経験した。 「あの事故の記憶はほとんどないんです。落ちて、ヘルメットを脱がされた時に、『すごい血が出ているなあ』という記憶はあるんですが、その後は小林悠樹(同期)の顔があったなあ、ぐらいしか覚えていません」 奇跡的に命が残り、さらに選手に復帰できたことはまさにミラクルだった。 「もう危ないし、もう辞めようかな~と考えたこともあるんですが、ほら、あの頃は子どもが生まれたばかりだったし、働かないとだめだったから。生活があったからね」 まさに、命を削るとは武藤の生き様そのものだった。頭と感覚で理解できていても、体が付いてこない。選手たちは「武藤は天才」というが、スキルを生かせない日々は延々と続いた。 それでも、今も武藤は戦っている。 レースだけでなく、己とも戦い続けている。 「あの頃、生まれた子どもも大きくなりましたよ(苦笑い)。最近ね、また自分も頑張ろうと思えるようになったんです。有吉辰也さん(武藤と同じように大ケガを負って完全復活した)とかすごいもんね。有吉さんがまたSGを勝ったら、心からおめでとうございます! と言える気がします。僕ね、一番体重があった時はたぶん65キロを超えていたと思います。今の体重、知ってる? ゴジュ~ニキロ(笑い)」 体重を10キロ以上落とした。 これからのことは、正直わからない。 このまま、悪くない成績を残し続けながら、選手生活を送っていくかもしれない。 でも、また再び、SGを勝つかもしない。 どちらの可能性を匂わせ続けるのが天才たる所以なのかもしれない。 武藤がまたSGを勝つ可能性はゼロじゃない。 もしも、また表彰台のてっぺんに登った時、有吉さんも同じように、心からおめでとう、ムーちゃん! と言ってくれることだけは可能性100%だと思います。 その時は、武藤さんのお母さんが一番大変なんじゃないですかね。 「うちの息子は本当に人騒がせだから!」って。 「オヤジは今年死んじゃった。だから、お袋は大変だよ。父がレース場に連れて行って、子どもが死にそうになって。みんなで心配ばかりかけちゃっているから(笑い)」
報知新聞社