「黒パンと塩汁が毎日 ずっと空腹だった」16歳で経験したシベリア抑留 若い人に言いたい「平和に勝るものなし」
RKB毎日放送
敗戦後、旧満州などにいたおよそ57万5000人の日本人が旧ソ連に連行された「シベリア抑留」。 【写真で見る】若い人に言いたい「平和に勝るものなし」 寒さと空腹、そして過酷な強制労働により5万5000人もの人たちが現地で命を落としました。 16歳~18歳まで極寒の地に抑留された95歳の男性は、自らの経験を語り「してもいい戦争はひとつもない」と言いきります。 ■14歳で旧満州へ→ソ連の捕虜に 今年で95歳になった佐藤隆さん。 「シベリア抑留」の経験者です。 1943年、当時14歳だった佐藤さんは、「満蒙開拓青少年義勇軍」の一員として旧満州、現在の中国東北地方で働き始めました。 佐藤さんの旧満州での暮らしは、2年も経たないうちに終わりを迎えます。 佐藤隆さん(95) 「飛行機がバーっと斜めにおりてきて、バリバリバリって。それで、あ、戦争が始まったって」 1945年8月9日、「日ソ中立条約」を破棄したソ連が、旧満州への侵攻を開始。佐藤さんは、ソ連の捕虜となり16歳の若さでシベリアでの抑留生活が始まりました。 ■2メートルの雪がつもるシベリアで強制労働 強制収容所で暮らしながら、木材の伐採や運搬などの過酷な労働を強いられたといいます。 佐藤隆さん(95) 「林は2mくらいの雪に全部埋まっているんですよね。 ノコがひけるくらいの幅まで雪をどけて、ちょっと上のところからわっしょわっしょ引いて、寒いのに」 食事は、「黒パン一切れ」と具がない「塩汁」のみでした。 佐藤隆さん(95) 「うどん、天盛り、巻き寿司、考えるのは、そればっかり。 ずっと空腹なんですよね、黒パンと塩汁一杯、最後までそれだったから」 ■引き揚げ船を下り「お帰りなさい」に涙 佐藤さんは、1947年、およそ2年にわたる「シベリア抑留」を終え引き揚げ船に乗って京都の舞鶴港に到着しました。 舞鶴の婦人会の女性たちに「ご苦労様でしたお帰りなさい」と出迎えられた時、帰国を実感したといいます。 佐藤隆さん(95) 「桟橋を歩き始めると、舞鶴の婦人会の方々が『ご苦労様でした、お帰りなさい』って、歩く私を出迎えてくれました。ロシアの残酷な生活を2年間送って、小突き回されてですね、死ぬか生きるか、それで帰ってきて、その姿を見た時に涙がでました、帰ってきたなって」
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