日本一の直後に懲戒免職…長崎県立小浜高校ボクシング部元顧問、最高裁で勝訴 許せない“日本一の栄光に祝福なし”
長崎県のボクシング競技を日本一に導きながら、教師の夢を奪われた男性がいました。9年間の闘いの末、12月20日、最高裁が懲戒免職処分の撤回を決定しました。なぜ彼は職を追われたのか?今も許せない「ある出来事」とは? 【画像】ドン底に落とされた…懲戒免職処分後は設備会社で働き、2人の子どもを育てた林田耕二さん(63) ■9年前の懲戒免職 懲戒免職の処分が取消となったのは、長崎県立小浜高校に勤めていた林田耕二元教諭(63)です。12月26日に開かれた説明会で、元教諭は懲戒免職処分となった日のことを「どん底に落とされた」と振り返りました。 林田耕二元教諭(63): 「嘘だろう、嘘だろうとずっと思いながら夢を見てるような感じでした。段々、段々現実味が湧いてきて…。これからどうしたらいいのか本当にどん底に落とされていた」 ■発端は「生徒のパンチ」 代理人弁護士によりますと、林田さんは2013年7月、顧問をしていた長崎県立小浜高校ボクシング部の指導中、リング上で生徒から誤って右眼にパンチを受けてけがをしました。(右眼内レンズ脱臼、続発性高眼圧症) 学校と県教委を通して「地方公務員災害補償基金長崎県支部」に公務災害を申請、認められ療養費として約123万円の支払いを受けました。 ■「申請はウソだ」 しかし2年後の2015年、学校と県教委は林田さんの公務災害申請が「虚偽だった」と判断。さらに虚偽申請を理由に林田さんを懲戒免職処分とし、詐欺の疑いで警察に告発しました。 取り消された公務災害の認定。国体のボクシング競技で長崎県を全国制覇に導いた翌年のことでした。林田さんはこれを不服とし、基金審査会に対し処分の取り消しを求める審査請求を行い、県人事委員会に対しても懲戒免職処分の取り消しを求める審査請求を行いました。しかし、いずれも棄却されました。 ■最高裁判決まで9年の闘い 林田さんは2019年1月、長崎地方裁判所に懲戒免職処分の取消し等を求めて提訴。2022年に一審の判決で勝訴しました。 県教委は控訴しましたが、2024年2月に福岡高裁は控訴を棄却しました。福岡高裁判決は生徒の証言について「変遷があり信憑性に乏しい」などとして県教委の処分理由を‟事実誤認”と判断していました。