戦前は透明だった? 九州豚骨ラーメンのスープが白濁したのは偶然の産物だった【ラーメン官僚】
日本全国のラーメン店の発掘と紹介をライフワークとし、年間700杯以上のラーメンを食べ続け、生涯実食杯数は20,000杯超という日本屈指のラーメンフリーク、通称「ラーメン官僚」こと、かずあっきぃ氏がラーメンについて語り尽くす短期連載。第2シーズンでは「豚骨ラーメンの今までとこれから」について3回にわけて語ります。(前後編の前編) 【写真】ラーメン官僚がおすすめする今アツい豚骨ラーメン5 世の中の多くの人は「豚骨ラーメン」と聞くと、「博多豚骨ラーメン」を思い浮かべるのではないかと思います。「博多豚骨ラーメン」は、「札幌味噌」「喜多方ラーメン」と並び称される「日本三大ラーメン」のひとつで、全国的にも知名度が高いラーメンです。ですが、「博多豚骨ラーメン」だけが豚骨ラーメンではありません。 「豚骨ラーメン」とは、豚のゲンコツ(大腿骨)やトントウ(頭骨)、セガラ(背骨)など、豚の骨から出汁を採るラーメンの総称です。それ以上でも以下でもないということを、まずは押さえておいてください。白濁したスープを特徴とする「博多豚骨ラーメン」は、星の数ほどある豚骨ラーメンの一部に過ぎません。 例えば、「横浜家系ラーメン」や「二郎系ラーメン」は、れっきとした豚骨ラーメンです。「和歌山ラーメン」、「徳島ラーメン」、「広島中華そば」も豚骨ラーメン。九州に限っても「久留米ラーメン」、「佐賀ラーメン」、「熊本ラーメン」、「宮崎ラーメン」、大分の「佐伯ラーメン」などは、全て豚骨ラーメンです。このように、豚骨ラーメンの種類は非常に多い。このことを前提に置いていただき、まずは九州の豚骨ラーメンについて解説しようと思います。 九州の豚骨ラーメンといえば、豚骨を強火で長時間煮込んでスープを白濁させたラーメンを思い浮かべることでしょう。しかし、スープが完全に白濁したラーメンは、九州全域でみるとそれほど多くありません。博多などの大都市からちょっと離れた郊外や、昔からある老舗で提供されるラーメンは、豚骨出汁ではあるもののスープはやや濁る程度で、驚くほどあっさりしたものが大多数を占めています。元々、戦前の豚骨ラーメンのスープは、透き通っていましたからね。 では、戦前は透明なスープが主流だった豚骨ラーメンが、なぜ白濁したのか。 九州の「豚骨ラーメン」のルーツは、1937年に久留米で創業した『南京千両』まで遡ります。ただ、そこで提供されていたラーメンのスープは清湯。濁っていませんでした。戦後間もない1947年、杉野さんという方が、久留米に『三九』というラーメン屋を創業しました。『三九』も、当初は、スープが透明な豚骨ラーメンを提供していたんです。ところがある日、杉野氏がスープ番を母親に任せて買い出しに出掛けた際、間違えて煮込み過ぎてしまい、スープに豚骨のコラーゲンが溶け出し、白く濁ってしまった。偶然の産物であったものの、そのスープを美味しいと感じた杉野氏は、以後あえて白濁させたスープを店で出すようになり、それが徐々に市民権を獲得していった。これが白濁豚骨ラーメン誕生の経緯です。 1951年、その杉野氏は、常連客だった四ケ所さんに『三九』を譲り、杉野氏ご自身は久留米から北九州の小倉へと移り住み、『来々軒』を開業。『来々軒』も、白濁豚骨ラーメンを出す店として人気を博します。こうして、白濁スープの豚骨ラーメンは、提供される先々で確固たる支持を獲得しながら、大分県日田市を経て大分県全域へと広がっていきました。