戦前は透明だった? 九州豚骨ラーメンのスープが白濁したのは偶然の産物だった【ラーメン官僚】
「鹿児島ラーメン」だけは出自が全く異なります
他方、久留米で市民権を獲得した白濁豚骨ラーメンは、隣の熊本県や佐賀県にも継承されました。久留米での数年の営業の後、四ケ所氏は佐賀へと移り住み、佐賀のラーメン職人にラーメンの作り方を伝授。そのラーメンが、やがて、甘みがあるあっさりスープにやや太い麺を合わせた「佐賀ラーメン」となります。 熊本県玉名市には『三九』の支店が進出。この『三九』の支店が、現在の「玉名ラーメン」や、マー油を用いることで有名な「熊本ラーメン」のルーツとなりました。「熊本ラーメン」は、宮崎県にも伝播しています。「熊本ラーメン」のパイオニアの一人である『松葉軒』の創業者・木村氏が宮崎市へと移り、『喜夢良』を開業。「宮崎ラーメン」は、マー油の代わりにラード油を用い、現在にまで至っています。九州のご当地麺は、その味や仕様に差異はありながらも、それぞれが密接に関連しているのです。 なお、「鹿児島ラーメン」だけは出自が全く異なります。かつて鹿児島市内にあった人気店で、鹿児島ラーメン発祥の店と言われている『のぼる屋』の創業者・道岡ツナさんが、横浜で看護師をしていた時に、患者の中国人からスープの作り方を教わり、それが後の「鹿児島ラーメン」となりました。なので、「鹿児島ラーメン」は、『三九』の系譜とは無関係です。 ただ、豚骨ラーメンの歴史って、分かっていないこともまだまだ多い。というのも、「博多豚骨ラーメン」の出自は全く別であるという説もあるんです。 博多ラーメンは、『赤のれん』の創業者・津田さんと、『博龍軒』の創業者・山平さんのおふたりがルーツ。戦後、ラーメン屋台を引いていた二人が共同開発。津田さんが中国で食べた豚骨スープをアレンジし、山平さんが台湾で知った麺づくりを実践した結果、「博多ラーメン」の原型ができたとされています。 津田氏の話を少し広げます。「博多ラーメン」のスープは、津田氏が満州に出征した際、現地の食堂で食べた豚骨スープに感銘を受けて持ち帰ったというエピソードがありますが、その食堂で津田氏が食べた豚骨スープは、元々、北海道のアイヌ料理「ソップ」が原型だという説もあります。この「ソップ」云々の話は信ぴょう性に疑問符が付く節もあるのですが、はっきりしていることは、「久留米ラーメン」と「博多ラーメン」とは系統が異なるということ。まさにカオス。これが、九州の豚骨ラーメンの歴史なんです。 ここで、「豚骨ラーメン」の代表的な全国チェーン『一風堂』と『一蘭』について、少し触れておきます。前者(『一風堂』)は1985年、後者(『一蘭』)は1993年の創業です。共に、ご当地麺としての分かりやすさを重視し、豚骨感を強調したラーメンを出しています。おそらく、一般的な方々、特に九州以外の地域の方々が抱く「豚骨ラーメン」のイメージは、これなのではないかと思います。