”悪魔の6秒”はなぜ起きたのか 柔道の「不可解判定問題」 過去の事例から学ぶこととは【パリ五輪】
日本のお家芸である柔道の「不可解判定問題」が大きく注目を集めている。 日本時間7月27日に男子60キロ級の試合が行なわれ、金メダル候補といわれた日本代表の永山竜樹が不可解な判定に苦しむシーンがあった。 【画像】セーヌ川で行われたパリ五輪・開会式の模様をお届け!ジダンとナダルの共演やレディ・ガガの起用、セリーヌ・ディオンに生首の歌唱も 波紋を呼んだのは準々決勝でぶつかった23年世界王者のスペインのフランシス・ガルリゴスとの対戦。 得意の担ぎ技を封じられ、両者決めてを欠いたまま、試合は終盤へ。ここで永山は寝技に持ち込まれ、主審から「待て」をかけられた後も相手は力を緩めず、約6秒も締めを継続。永山は指示を受けて力を抜いていただけに、あやうく命の危機にもさらされた。 その後、ようやく締めを解かれたときには意識を失ったことを理由に「一本」を宣告されたことで審判団の判断に納得がいかない永山は畳の上にとどまり、日本選手団もこの判定に猛抗議。会場のブーイングを浴びながらも抗議を続けたが、判定は覆らず。悔しい気持ちを抱えた永山だったが、敗者復活戦から3位決定戦に臨み、見事銅メダルを獲得した。 一方、収まらないのは日本選手団だ。全日本男子の鈴木桂治監督は「待て」の指示を受けながら、相手のガルリゴスが力を緩めなかったことについて「悪魔の6秒間」と表現するなど、厳しく追及。ただ「待て」を出しながら、選手側が続行となれば、主審が身体を張るなどして止めない限り、競技は続くことで、審判団の判断にも疑問の声が上がっている。ネット上でも「明らかに反則」「スポーツマンシップはないの?」など相手選手を批判する声と同時に、審判団がもっと強く試合の主導権を握るべきだったという声もある。 実際に今回の件では相手側のガルリゴスは「待ての声に騒音で気づかなかった」としながら、国際大会では多くあることとして、自身に落ち度はないとスペイン紙の取材に応えている。 日本のお家芸である「JUDO」は、1964年の東京五輪で正式競技に採用されて以来、今や国際的なメジャースポーツとして知られるようになってきたが、過去にも日本人選手が審判の判定に苦しんできた歴史がある。 五輪柔道で「世紀の誤審」として今も語り継がれているのは、シドニー五輪100キロ級の決定戦だろう。日本代表の篠原信一の対戦相手は96年アトランタ五輪王者のダビド・ドゥイエ(フランス)。 問題のシーンは1分半が過ぎたあたりで起こった。篠原はドゥイエの内股に反応。右脚を高く突き上げて、見事な内股すかしで切り返し、ドゥイエは背中から、篠原は横から落ちる形となった。 篠原自身も1本勝ちを確信、渾身のガッツポーズまで出したが、判定はドゥイエのポイントとなった。 最も近くにいた副審は篠原の1本勝ちを宣告したが、主審ともうひとりの副審はドゥイエのポイントを主張して譲らず。ポイントが覆らないまま、試合は終了、篠原は銀メダルに終わった。 表彰台で男泣きを見せた篠原に同情論も高まり、試合後、日本は山下泰裕監督と斉藤仁コーチが猛抗議したが、認められず。後に全日本柔道連盟が抗議文を送り、国際柔道連盟(IJF)はドゥイエ有効の判定を誤審と認めた。 結局、判定が覆ることはなかったが、これがビデオ判定導入のきっかけになったとされる。 今回の事例では「審判の技術力」「判定ミスが起きたときの対処法」などもクローズアップされている。日本選手団は試合後に国際柔道連盟に文書で抗議するも、「待て」後に締め技が続いたことへの明確な説明はなかったとされる。 不可解判定で涙を飲むのは4年間、必死の思いで練習してきた選手たちとなる。 現行のレギュレーションでは、仮に誤審や不可解な判定があっても、その場で判定を覆すような方法がないことも課題となるか。シドニー五輪がビデオ判定導入の契機となったように、今回の事例がさらにクリアな判定を生むための一助となることを願いたい。 [文/構成:ココカラネクスト編集部]