23年は猛暑、24年は水害…気候に振り回される米どころの農家はいま
山形県などを襲った7月の記録的な大雨で、米どころの同県酒田市など庄内北部では新米の10アール当たりの収穫量が20年ぶりの大幅な減収になる見通しだ。昨年は猛暑の影響で等級が下がって減収を余儀なくされ、今年の水害は1993年の大凶作「平成の米騒動」以上との悲痛な声も上がる。 【写真で見る】スーパーからコメが消えた「令和の米騒動」 被災から4カ月を経て前を向き、再起への歩みを進める農家がいる。毎年のように気候に振り回され、今どんな思いを抱くのか。 「春から種をまいて手塩にかけて育ててきたのに。農家の感情として不作はどうしても、やりきれない」。酒田市松山地域の遠田聡さん(63)は、がっくりと肩を落とした。 7月25日の記録的な大雨で、自宅近くにある「竹田排水機場」のポンプが故障し、排水が追い付かずに用水路などから水があふれ出す内水氾濫が発生。地区一帯が水につかり、乾燥・貯蔵施設(カントリーエレベーター)周辺で経営する水田も冠水した。 その結果、10アール当たりの収穫量は同市の2023年産米の607キロを大幅に下回る420キロ。最上川をへだてた近隣でも500キロ前後だっただけに、収穫の落ち込みが際立つ。 地元の農協関係者は庄内北部一帯の作柄の悪化について「7月の日照不足と出穂期に直撃した大雨が要因」と分析する。農林水産省の統計によると、歴史的凶作で政府がタイ米を緊急輸入した1993年や、台風による強風の影響で庄内北部に甚大な塩害が出た2004年以来の低水準だった。 遠田さんは米作りの一方でカントリーエレベーターのオペレーター業務に携わっていたことから、自宅と職場、水田と身の回りの生活全てに被害が及んだ。家族4人で避難所に身を寄せ、自宅に通って応急処置のめどがつくと、職場の復旧作業に明け暮れた。 心が折れそうになる日々を乗り越え、カントリーエレベーターは仮復旧にこぎつけて10月から再開。自宅の補修もようやく済んで12月から4カ月ぶりに元の暮らしに戻る。「我が家に帰れたら、来年のコメ作りに向けて復活することができると思う」と意欲を見せる。 足元ではその間、米の品薄に生産者や消費者が振り回される「令和の米騒動」が起きた。一部では民間業者が生産者から米を高値で買い付け、小売価格が高止まりするなど、米を取り巻く情勢は激変した。 こうした問題も、根底にあるのは米の供給安定性だ。「近年の気候変動は不安だ。先の見通しはつかない」という遠田さん。産地に求められる品質と安定供給の確保のため、技術指導のほか、風雨による倒伏、高温などに耐える新品種開発などを国や県に求めている。 山形大農学部の藤科智海教授(農業経済学)も「生産者には多品種生産によるリスクの分散が求められる」と指摘する。さらに民間による調達競争に巻き込まれず、消費者との継続的な取引関係を構築するなど、「産地の従来の常識にとらわれずに工夫を凝らしながら、持続可能な生産基盤を維持してほしい」と話している。【長南里香】