原因不明の発声障害、歌えない「地獄」と10年以上向き合った先に T-BOLAN森友嵐士の絶望と再生
「今日もダメだった」を繰り返す日々
腹をくくってはみたものの、はじめは完全に後ろ向き。何をしても、「過去の自分に負けている」という気持ちを拭い去ることができなかった。森友はT-BOLANの解散を決意する。 「T-BOLANという過去の作品たちが、どうしても僕の中で今と過去を比べさせてしまうから、こいつが邪魔なんだ、と思ったわけ」 一方、バンドメンバーたちは解散に前向きではなかった。 「メンバーたちはずっと解散を拒んでたよね。失うのが嫌だったんだと思う。彼らはT-BOLANをやりたいから待つ。僕は待たれる。期限がわからないから、焦る一方……とにかく、良くないことだらけ。解散しなければ誰も新しい道を歩めない。僕も待たれる苦しみから、自分自身を解放してやりたかった。何度も話し合って、99年の12月31日をもって、T-BOLANを解散。身勝手だと思ったけども、病気のことはファンに知られたくなかった。治る可能性があるならまだしも、10年経ってもダメと言われたら、とても公表できませんでした。これがまた僕を苦しめたんですけどね」
最前線から一転、変わりゆく音楽シーンを横目に、焦りが募る日々。 「イライラして、自暴自棄。いろんなものを壊したよね。音楽シーンの変遷なんて、一切見てないですよ。家族も、腫れ物に触るような日々だったと思う。何か音楽が流れていたら止めるしね。だって、見るときつい。自分の中でジェラシーが生まれてしまうから。もう傷つけたくなかった、自分の心を。もう、十分ボロボロでしたから。でもね、そんなことをしていたら、歌う喜びを忘れてしまいそうになるんですよ。だから練習する。でも歌うことが、一番きつい時間で」 他の音楽をシャットアウトした10年間、シーンで活躍したミュージシャンたちのことを、森友はほとんど知らないという。 「発声練習から、具体的な歌唱まで。たくさんのトレーナーさんに会って、その中でも自分に合うと思うメニューを作って、コツコツ続けていたんですけど。『T-BOLANの歌声に戻す』という過去を取り戻すための治し方をやってたんですよね。一日の終わりにはいつも敗北感があって、『今日もダメだった』。それを10年繰り返しました。その考え方が、そもそもダメだった」